たまたま新聞を見ていて、働き方についての問題提起の記事があったので読んで見たのですが、
現実認識があまりに表面的なのと、問題提起の仕方があまりに幼稚だったので、そのことについて自分の考えを留めておきたいと思います。
対象となる記事は、2021年5月11日頃の産経新聞の記事です。
要約すると、「専門職(ジョブ型)」集団で組織された仕事のあり方は、従来の日本の「総合職(ゼネラリスト型)」で組織された働き方と比べて危険がいっぱい、以上。という内容です。
この記事のあまりに表面的だと思ったのが、「賃金」とか「生産性」とかいう目に見えることだけしか見えていなさそうというところと、現在の状況をほとんど感じ取っていないのだろうなと思えるところです。
記事の写真にある比較項目も、大学生くらいでも書けそうな項目です。たぶん全然取材してないんだろうな、と思います。
そして、問題提起の仕方は、対立する意見(りそな総合研究所と日本総合研究所)を並べて終わりで、それに対する本人の考察はゼロ。
「どちらか一方の考え方だけでは危険です」と言って終わり。そんなことは「太陽は東から昇ります」と言っているくらい当たり前のことです。
目次
日本の「総合職」のあり方を変えられないことで様々な問題が思い浮かぶ
ちなみに「総合職」vs「専門職」については、私もブログで過去にいくつか書いていますが、
「総合職」だから有給休暇がとれません。
記憶の糸「総合職」が大勢のところ、仕事の生産性は上がらず
「総合職」だから長期休暇がとれません。
記憶の糸外国の表面的な情報で比較する「思考の癖」はそろそろやめてほしい 『フランスの有休消化率が100%』
「総合職」だから残業は減りません。
記憶の糸働き方革命は、組織的に仕事を部品化できないと絶対に達成しない
「総合職」だから女性は働きづらい環境です。
記憶の糸日本の「優しくされない働く母」の行く末
また上記のようなことに加えて最近思うところとしては、
1)総合職で、とある会社でゼネラリスト的に働いてきて、これといった自分の得意分野が育たないと その人は転職できません。
そうすると、仮にその会社が 時代の変化でもう衰退する企業であっても、いつまでも人が残って いつまでも雇用を維持させなければなりません。
もしさっさと転職できる環境で 労働者の流動性が高ければ、そういう業界・会社には自然と人もいなくなって、自然淘汰されていって産業の新陳代謝が健全に進むのではないでしょうか。
2)総合職だから、コロナで緊急事態宣言が出ても、多岐に渡る業務内容のうち、出社しなければ生産性が極端に落ちる業務があれば、そのために出社しなければなりません。
3)分業化されていれば、コロナにおける在宅ワークでも、業務上の混乱は大きくはないことでしょう。
4)在宅ワークが夫婦で可能となれば、共働き世帯でも、保育園・幼稚園通いの子供の世話で時間が取りやすくなり、出社していた頃よりは家事・育児に良い影響があるでしょう。
5)上記4)のようなことが可能となると、共働き世帯の出産後の女性の生産性が落ちることを、社会制度の側からだけではなくて、家庭の側からも改善できるでしょう。
というようなことが思い浮かびます。
おおよそ、昨今においては「総合職(ゼネラリスト型)」は、メリットよりもデメリットの方が多いといえます。そして直接的なデメリットだけではなく、波及するように間接的なデメリットがかなり増えてきていると思います。
一方で、「専門職(ジョブ型)」は、デメリットよりもメリットの方が多い社会になってきていると言えると思います。
その最たる例は、霞が関の官僚が示してくれている気もします。総合職であろう彼らの残業時間は日本トップクラスだと思います。
私は以上のような視点も入れて課題提起しないと、単純に「賃金」と「生産性」では薄っぺらすぎると思うのです。
テーゼに対してアンチテーゼを出して終わり。ジンテーゼを仄めかすくらいしたらどう?
というわけで、私は、「総合職(ゼネラリスト)型」よりも、「専門職(ジョブ型)」のあり方をもっと取り込むべきだと考えます。
が、「ジョブ型」が精神的な課題が残るであろうとは思います。詳細は以下のブログ記事で書いていますが、ざっくり云うと、自分の仕事が大変なのに隣の人がさっさと帰ると腹が立ってしまう精神性のことを言っています。
なので、いかにしてテーゼ(従来のゼネラリスト型が良い)と、アンチテーゼ(ジョブ型がよい)を、統合するか(ジンテーゼ)が求められているのに、
この記者は、2つの対立意見を並べて終わり、というよりか、前提として二者択一の思考様式を呈している印象もあって、薄っぺらいなぁ、と思った次第でした。
ちなみに私は、ある会社に在籍していたときに、言い出しっぺがすべてを自分でやるという企業文化のなかで業務をしていました。
その時点での私のコアスキルは、システム開発のプロジェクトマネジメントだったのですが、このおかげで、一層スキルに磨きがかかったし、対応できる業務領域も増えました。
お陰様で、ゼネラリスト的な位置に近づいていき、結果的にはサービス企画部門のグループマネージャー(課長)にまで昇進しました。
そこには、スペシャリストスキルをコアとして、ゼネラリストスキルと有機的に結びついているあり方です。
なので、そういうあり方は全然可能だし、その会社の業種・業態にあったビジネス環境のなかで、ゼネラリスト⇔スペシャリストを対立させるのではなく、融合させることに試行錯誤の余地は大いにあると思うのです。
それが日本が自分たちで解決しなければならない課題だとも思っています。
新聞記者の知性レベルも低いから 新聞は信用してはいけない
というわけで、この新聞記者の書いている「ゼネラリスト型 vs ジョブ型」の記事は、あまりに表面的だし、
それは恐らくご本人がサラリーマンなのに、その領域についての洞察を得るような実際の経験値が少ないだろうし、
物事を対立的に提示して終わりなだけなので、総合的な知性は低そうです。
というレベル感の人間が、記事というものを書いているとすると、新聞というものは信用するに足りないと思います。
ちなみに、私が随分以前に、日本人は新聞を信用しすぎるのは危ない、というブログ記事を書いてますので、それも挙げておきたいと思います。