日本の生産性の外国との比較は、たびたびニュースになることだと思います。
これ、ちゃんと日本は主張した方がいいと思うのです。
自分たちの仕事の進め方や人材に対する考え方は、
- 仕事を部品化して、部品化された部分だけをこなす人材をあてがい、人材を交換可能としておく、という方針ではなく、
- 総合職の人材に総合的に仕事を任せ、幅広く業務を経験してもらいながらスキルを高め、ゆくゆくは幹部にまで育成する、という方針である。
- だから幅広い業務のなかでは、明確に休暇をとりづらい状況があるのだ。
と。
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ちなみに、夏休みがちゃんと取れる人というのは、定時でちゃんと帰れる人とほぼ同じです。
定時で帰れる人というのは、仕事量・内容ともに決まっていて、仕事の切れ目がはっきりしていたり、その部分だけ他の人に渡しやすい業務内容の人たちです。
そうでない人とというのは、総合的に仕事を担当していて、関係者との調整事が多かったりする人たちです。関係者が多いと、仕事の切れ目をハッキリさせることは事実上難しいと思います。
なら欧米の仕事の進め方はどうなのかというと、欧米は分業に対する考え方が強い文化です。
経営職でさえ専門化されていて、人材の交換可能な領域となっています。(もちろんそうでない企業も多数あるでしょうが)
だから欧米では、日本よりも部品化されている領域が多い、、、全体的に生産性は日本より高いのだと思います。
人材の流動性が高いアメリカの生産性が高いのも納得できることでしょう。
(参考:労働生産性の国際比較)
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では日本でも生産性を上げるために、仕事の分業度を高めることはできないものか。これ、可能だと思います。
ただし受け入れなくてはいけない部分が出てきます。
- 景気が悪くなったらすぐに契約を打ち切られることを当たり前としなければならない。
-
同じ業務内容の繰り返しなのでスキルアップが困難で、その人の仕事ができるランクが固定化されてしまう。
ぱっと思いつくところとしては、こんなものでしょうか。
そしてマインドの変更も必要だと思います。「分業が当たり前」だとしなければならないのです。
仕事を依頼したときに「それは私の仕事じゃありません」と言われることに対して、腹を立てつつ自分でやってしまうのであれば、この分業の考え方に馴染まないのだと思います。
もし分業が進んでいるなら、以下のような流れが当たり前のごとく進行するでしょう。
「それは私の仕事じゃありません」
→「担当者はだれか」
→「いません」
→それはマネジメントの責任なので、マネジメント層に注文する
→マネジメント層による組織・役割の更新
こんなことを変えつつも分業制に移行すれば、生産性は上がるでしょう。
でも結局それは西洋の組織制度の模倣ということになりますから、いろいろな部分で歪みが出てくるとも思います。
どうせなら、独自の路線を模索するべきだ、と思う、私の夏休み2日目の朝でした。