日本の少子高齢化の記事や、労働人口の減少の記事を目にすると、日本の未来に暗い印象を抱いてしまうのですが、
これを解消しようとすると、出生率のことを考えるのと同時に、やはり労働生産性のことが意識に上ります。
で、労働生産のことを考えると、いつも気になる存在がありました。
それは、日本と同じく工業が強いドイツの存在です。
ドイツについては、なぜ同じ工業国家なのに、日本よりも遥かに生産性が高いのか知りたいというのがありました。
もちろん、自動車産業などの個別産業で見ると、日本のほうが高いようなのですが、よくニュース記事になるOECDの労働生産性ランキングでは、いつも低いという評価を得ているので、
なぜそのような順位になるのかについて知りたいと思っていました。
というわけで、手にとった本がこちらです。
ドイツ人は「労働時間」が法律で規制されている
そこで分かったことには、まずはドイツでは「閉店法」という法律があったり、労働時間も法律で1日あたり8時間を超えてはならないという法律(原則ルール)があるということです。
「閉店法」について言えば、業種にもよりますが、原則として20時~翌6時まで、店を開けてはならないということが、法律で禁じられているということです。
なるほど、日本の場合は、飲食店であれば授業員が終電で帰れる時間ちかくまで営業していることでしょうから、これが夜の20時に閉店ということであれば、どれだけ労働時間が短くなることでしょうか。
また、サラリーマンに相当する人たちでも、8時間を超えて仕事をしてはならないのであれば、9時~17時が守られていることでしょうが、これは日本では公務員以外は不可能だと思います。
以上のことから、ドイツでは、
労働生産性 = アウトプット ÷ かかった時間
のうち、「かかった時間」について、法律レベルで少なく抑えられているということを理解しました。
日本の場合は、基本的に時間が先にあるというよりは、どこまでやるか、が先にあって、時間はそれについてくる、みたいなところがありますので、
先に時間を区切って、それまでにやるという姿勢は、かなり時間あたりの生産性を上げることができるのではないかと思いました。
ドイツ人は、サービス精神が低いのが当たり前になっている
また、この本によると、ドイツ人はサービス精神が低いようです。
つまり、公務員なんかであるような、「1分でも就業時間がすぎれば客が並んでいようが、問答無用でサービスを終了する」というような姿勢ということです。
これは、日本においては嫌われるやり方ですが、これが嫌われない社会なのであれば、そのような姿勢が、業務に終わりの区切りをつけるのには、最も相応しいと思います。
またこのスタンスが社会に浸透しているので、「閉店法」といった法律が受容されるのだと思います。
時間を短くした分、品質は落ちないのか
ところで、上記に書いてきたような、「労働時間を短くする」ことと、「サービス精神が低い」ことが組み合わさると、
社会全体として、いろんな所でのアウトプットの質が落ちてしまうのではないかと思ったりもします。
日本人であれば、このような疑問を持つのではないでしょうか。
が、ここでドイツ人の精神性が効いているようなのですが、
ドイツ人は、「労働収入は、家族との時間を豊かにするために手段である」という認識があるのと、「効率性を重視する国民性がある」ということです。
よって、「短い時間だから、相応のアウトプットしか出せないよね」となるのではなくて、「いかに業務を効率化して、短い時間で高いアウトプットを出せるかを工夫しよう」という精神構造になっているということです。
なので、時間を短くきっても、アウトプットの品質が落ちない努力が個人レベルでも常に続けられているに等しいわけなので、社会全体のサービスの質は維持されているのではないかと思われます。
ちなみに日本はというと、まず、労働が手段ではなく、自己存在を確認する場になっているところがありますので、ドイツのような精神構造には、容易にはなれないと思います。
日本人は、労働を通じて自分の存在のありかを見出し、そこに社会のなかで役割を演じている自分の存在意義を見出していると言えましょう。
よって、その労働を、「ただの手段」である、と位置づけてしまうと、自己喪失ないしは、仕事への意欲は消滅してしまうことでしょう。
さらには、仕事が自己実現になっている、というところもあります。
キリスト教の伝統に支えられた個人主義の国ドイツと、宗教なく現世的な価値以外の価値基準を持ちづらい日本という、文化・歴史的な決定的な差異があるため、
「労働の位置づけ」を、社会的・精神的な要素を排除して、軽率に現世的に位置づけようとすると、日本人の仕事に対する真摯さは、誤った方向に導かれてしまうことと思われます。
日本としてどうあればいいのかの方向性について
そんなことを、ドイツに関する知識をこの本から得ながら、では日本はどうすればいいのか、ということについて考えてみましたが、
まず先に断っておくと、この本の著者の考えは、全然いけてません。
単純に、ある特定サービス行における過剰サービスを抑えましょう、ということを提言するに留まっているので、「本当にそれだけ?」と思ってしまって終わりです。
で、私が思うにですが、
まずは法律レベルで、労働時間を制限するところから始めるしかないと思います。
この国(日本)の経済人は、誰かがやりだすと、すぎに追い越されまい or 引き離されまいとして、同じようなことを始めて、すぐに過剰競争に陥ります。
たとえば、私は1981年生まれですが、子供のころは、お正月の三が日は商店は休みというのが当たり前でした。
が、それが、ある企業が3日も営業を始めると、次第にそれに他の企業も追随して3日も営業するようになり、社会的にその状態が当たり前になり、それが2日⇢元旦となっていたと記憶しております。
ということは、民間部門による自由競争を放置すると、そうならざるを得ないということです。
このような傾向は、「残業」ということを考えてみても、容易に発生することだと思います。
当たり前です。同じくらいの生産性を持っている2社のうち1社が、残業を多くして、その分、残りの1社よりもアウトプットの量や質を上げたとするなら、
よほど価値観や働き方が確立されている企業ではない限り、その1社に追随せざるを得ないと思います。
なぜなら、放置すれば自分が負けてしまう、すなわち倒産ということになるため、対抗措置として生産が同じくらいであれば、労働時間を揃えに行かざるを得ないと思います。
よって、民間企業同士ではどうしようもないため、そこを競争ルール自体である法律で、労働時間を揃えてあげて、同じ土俵で戦う環境をつくる、というのは理にかなっていると思います。
また、私は過去のブログで、日本の「総合職」というポジションがある以上、生産性は絶対に上がらないのと、「総合職」をやめて組織的に仕事を遂行するには、業務の部品化が必須である、ということを書きました。
過去ブログ働き方革命は、組織的に仕事を部品化できないと絶対に達成しない
今でも、この考え方については揺らいではいません。
なので、これらのことに取り組まないことには、永遠に、生産が上がることなく、企業で働く人は、いつも疲れていることでしょう。
以上のような下準備をしたうえで、各人・各企業が、サービス水準を高めるにはどうすればよいか、
ということを考えることで、日本人らしいサービスのきめ細かさを残しながら、生産性を高めていけないものかと思います。
この著者が安易に言っているように、単純に「過剰サービスを抑制せよ」ということをすれば、
恐らく、日本人のなにか大切な魂の部分まで破壊されることになるのではないかと思います。
「神様は細部に宿る」という言葉がありますが、そういう日本人のモノゴトに対する感じ方を壊すような、「猿真似」だけはしない方がいいと思います。
以上、ドイツの生産性の高さの裏側を知って、日本のことについて思ったことを書かせていただきました。