日本の「優しくされない働く母」の行く末

・「男は外、女は内」の支持が増加という結果がでました。
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY201212180146.html

また、ほぼ同時に、

・「日本は働く母にやさしくない」という国際比較の結果もでました。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20121218/142141/

ここで、「働く母」が、十分に満足して働ける「未来のあり方」に至る道について考えておきたいと思います。

なぜなら、この領域には、日本の文化の型が関係しており、解決の方向によっては、文化の型を破壊しかねないと思いましたので、特に考えておきたいと思いました。

以下、次のような章立てで検討したいと思います。

1)外資系の特徴
2)日本総合職の特徴
3)外資・日本の心理的な傾向
4)その方向性

1)外資系の特徴

よく女性活用の範として出てくる企業群として「外資系」があります。

日本企業とこの外資系の違いは、読書と友人からの情報を寄せ集めてみますと、(アメリカが主ですが)こんなことが言えそうです。

そこでは仕事の業務が互いに独立した単位にまとめられていて、全体と部分、部分同士の関係が明確に定義されているのです。

そして、全体が機能するために、その独立した部分が機能しさえすればそれで問題ないという考えが浸透しています。

だから、雇い主は、その部分が成立するように組織を設計することに意を使うし、労働側も、自分の所属している部分がうまく行くことだけに専念すればよい。

誤解なく言えば、機械の中の部品のような位置づけです。

ゆえに、育児後の職場復帰も、その部分に「はまる」だけなので、やりやすい。

2)日本総合職の特徴

一方、日本企業はどうでしょうか。

業務の部分同士の独立は、不明瞭な場合が多い。そしてそれを明確にしようとすれば、業務が回らなくこともあると思います。

そしてそんな状態でも、外部環境の変化には対応していくから、部門の垣根を越えた仕事は複雑なまま変化し続ける。

それをやり抜く正社員を、「総合職」と呼んでいることからもそれは明らかです。

ゆえに、しばらく職場を離れた人が戻ってきて、しかもそれが総合職だったりすると、即座にスッポリとはまる「部分」がまずない。

もちろん、しばらくすれば「はまる」のではありますが、それまでに時間がかかる。その間、本人もまわりも仕事がやりづらい、ということになっているのではないでしょうか。

3)外資・日本の心理的な傾向

また、上記の日米比較を、心理的切り口で見てみるとこういうことが言えると思います。

アメリカ的なやり方では、自分の所属している部分が担当しないことは、「自分には関係ない」との割り切りがある。

これは、たとえ隣の人が苦境にあっても、職種や担当している部分が異なれば、意に介する必要はないという状況を生みます。

この精神的態度を、日本組織に当てはめてみるとどうなるか。

皆さんも経験としてあるかもしれませんが、自分あるいは誰かが苦境にあるときに、「業務が違うので自分には関係ない」かのような振る舞いは、当事者にとっては感情的な反発を覚えざるを得ない。

これを積み重ねると、相互不信につながり、行く行くは、チームや部門同士でも反目しあう状況になり、日本型組織は全体としてうまく機能しなくなります。

ステレオタイプになってしまいますが、相互協力とか横との信頼関係を前提とするのが日本の組織文化だと思います。

だから日本では、部分的機能を果たせばよいとする考え方および、そこから生じる振る舞いには馴染まず、それに馴染もうとすれば、感情的な反発は必至であり、更には信頼と相互協力を破壊し、ついには組織全体としは効率が落ちるという事態になりやすいと言えそうです。

ちなみに、リーマンショック前の好景気時に、アメリカ型を真似て制度的に取り入れた「成果主義」は、富士通や住友商事といった企業で放棄するという結果に終わっています。

4)「働く母に冷たい」社会を克服する方向性

これらのことを整理しますと、「働く母に冷たい」を企業社会として克服するには、

・分業化された組織/業務設計をする
・相互協力、横の信頼関係を担保する

を両立する方向性で模索するということになるのだと思います。

これはどちらか一方に比重を置けば、どちらか一方が弱められるというトレードオフの関係になっているので、ふたつの絶妙なバランスを真剣に考える必要があると思います。

そしてこれは単に業務のうえで、どちらがどれだけの割合というだけではなく、社外でのコミュニケーションを含め、包括的にバランスを取る施策が必要になってくるのではないでしょうか。

あるいは、既存の環境をそうできるよう改変するという選択肢以外に、それに適した会社・産業そのものを新たに作り上げる、という選択肢もあるかと思います。

いずれにしましても、現状の克服は、自分達の「あり方」だけでなく「感じ方」もひっくるめた「現実」から出発すべきだと思います。

精神と制度のバランスに真剣に考えるべき

バブルがはじけて以降の日本において、他の国の事例を持ってきて、日本もそのようにすれば問題は解決するはずだ、との、真似パターンでのアプローチが、その時々に猛威を振るってきたと思います。

が、そのアプローチでは、人間関係・組織の文化的な型が異なるところから持ってきているため、どこか別のところで歪みが出てこざるを得なかったと思います。

それがその時々の、流行の考え方(少し前では、コンサルタントの言説等)によって、歪みを放置したまま、制度や働き方を変えれば上手くいくとして突き進み、精神が置いてきぼりをくらい、その整合を見ないがゆえに、挫折を繰り返してきたのが、この「現在」ではないでしょうか。

この際、耳障りのよい解決策に安易に飛びつくのはきれいに止めるべきだと思います。

また、あるやり方が上手くいかなかったからといって、すべてを否定するといった類の思考停止は、厳に戒めるべきでしょう。

現状を真っ向から克服するためには、一朝一夕ではできないでしょうが、あくまで自分達の現実からの試行錯誤による着実な一歩を積み重ねていくことによってしか達成できないと思います。

それは当面、「働く母」にやさしくない状況が続くということを意味します。が、その状況を経ることによる経験の果実でなければ、いつまでたっても何一つ変わることはないでしょう。

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