偉人の言葉集とは、編者の言葉集である。『ニーチェの言葉』にあらず

書店で、『ニーチェの言葉』なるものがベストセラーのようですね。

これら『○○の言葉』『△△の格言集』なる書籍を見るたびにいつも思うことがあります。それは、これら書籍に書かれているのは、天才の言葉ではなく編者の言葉であると。

なぜといって、天才の言葉(原典)は、人間のあらゆる側面を洞察し言葉にしているといえます。よって、万人が気に入りそうな言葉はいくらでもあります。が、一方で、万人向けでない言葉もそれに匹敵するくらいあるのです。

『○○の言葉』系の書物には、その中から編者が読者向けに集めた、編者の言葉が載っていると言わざるを得ません。

また、原典には、それらのすべての言葉に、良いか悪いかの価値評価が入っているものなのです。その良し悪しの基準は、その哲学者が立てたある理想像から見てどうなのか、ということになります。

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例えば、ニーチェの場合なら、

19世紀当時、ヒューマニズムの価値観が社会に浸透することで、ヒューマニズムを発生せしめた高貴な精神の土台そのものを腐食させてしまうことに警鐘を発した。その腐食させる要素を「ルサンチマン」とか「消極的ニヒリズム」か呼んだ。

そしてその価値観をこれ以上追い求めても、意に反して、高貴な精神は萎縮させられ、破滅にしかつながらないことを見通した。その価値観に支えられた既存の道徳そのものが、もはや人間の自立性を扼殺していくことにしか作用しないことを洞察したのだ。これを、「神は死んだ」と言った。

ゆえにその状態を超克する『理想の個人像』を提出した。それを「超人」とか「デュオニュソス」とか呼んだ。

で、ニーチェの洞察は、この『理想の個人像』に向かおうとしたとき、取り入れるべき、あるいは排除すべき価値が何であるかを明確にしようとし、人間の全活動に目を向けて行ったと言えます。

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著者が紹介している言葉は、著者の視点で編集された言葉に他ならない。特に、人間の全方位について考察したニーチェであれば、著者の視点でのみ有益と思われる言葉も幾つでもあるのです。

この著作において、「悩める現代人へ の言葉」として掲載されている言葉は、悩める現代人に受けのよい言葉を抜粋した著者の言葉であります。

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偉人の言葉は常に薄められる。限定される。

そしてこうした薄められた言葉に接することで慰みを持つのだとすれば、ニーチェ流に言えば、「そんな輩は没落せざるを得ない」となりましょう。

ニーチェに言わせれば、「生の最大の収穫を得るためには、危険に生きざるを得ない」のだから。

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