科学の素養のない新聞記者と、専門バカの組み合わせで記事を書くな。(産経新聞×理研)

コロナ感染の記事で、屋内と屋外で飛沫の感染リスクが変わらないと言う記事がありました。

@2021年4月30日 産経新聞
記憶の糸_産経新聞

まずは、常識的に思うところとしては、屋外と屋内で、飛沫の飛び方が異なるので、感染リスクが同じであるはずがない、というものです。

前提条件を無視するスタンス。とても科学者とは思えない。

その「常識」から出発して考えてみると、

この記事では、「無風状態」と「微風状態」の2つの前提の場合を論じていますが、

まず屋外で「無風状態」という理想的な状態はあり得ないと思われるし、仮にあるとして、ではその状態となる確率がどれくらいなのかということが不明です。

単純に「無風状態であれば」という前提が掲げられていますが、その再現性が「あるある」なのか「ほぼない」のかは明記するのが良心というものだと思います。

また「微風状態」ですが、常に一様の微風がある前提なのですが、これも、飛沫が相手に到達するまでの一定時間内に微風の向きが影響を受けない確率がどれくらいなのか不明です。

当然ですが、その確率は極端に低いと思われます。自然界において、一様に状態が変化することは殆どないからです。

なので、この前提は、「そんな状態がある一定時間維持されることが殆どあり得ない」ということを無視しています。

逆に、この一定時間が維持される確率を掛け合わせて、期待値的に感染リスクを出してくれれば理解できます。

そんなこともしないで、「屋外でも、屋内と同等の感染確率がある」などと言っているこの科学者は、アホだと言えます。

さらに言うと、この科学者(坪倉誠という人)は、そもそも感染についての専門家でも何でもありません。

となると、どれくらいの飛沫を浴びれば感染リスクがどれくら高まるのかといったことは本人は専門ではないはずです。知らないのではないでしょうか。

単位時間あたりに飛沫をどれくらい浴びるかによって、感染リスクの増減はあるはずで、それを無視した「感染リスクが屋内よりも高まります」発言は、アホです。

飛沫が1粒でも相手に到達しら感染リスクがあることになっているようです。

そのリスクは限りなくゼロに近い確率だが、「ゼロではない」ということなのだと思います。

こんなこと書いたら社会に混乱を招くのみと思わないのか?産経新聞の記者。

で、またこの記事をそのまま載せるとどうなるか。

専門家が言ったから正しいということで、それを信じる一定層が扇動されます。

これ、本当に、東日本大震災のときの原発報道で起きたことと同じです。

マスメディアは、放射線の量の絶対値のみを報道して、生活に問題のない水準であるということは一切載せずに社会を混乱させました。

↓そのときの記録です
記憶の糸_過去記事マスコミの原発・放射線報道のあり方を批判す

こんな浅はかな記事を、全国紙たるもの、載せるなよと言いたくなります。

科学の素養のない新聞記者と、専門バカの組み合わせがこのような記事を書き、そして社会に一定方向のバイアスをかけるのは本当に残念です。

私が科学者だったらもっと建設的なシミュレーションをする

この手のシミュレーションは、ノーベル賞を受賞した専門家の山中氏が、1年前に、散歩やジョギングでも感染リスクが「ゼロじゃない」とか言って、同じようなシミュレーションがされていた気がします。

専門家による、この「ゼロじゃない」の大合唱は、ここから始まったといえます。

記憶の糸_過去記事「感染リスクゼロ状態」という専門家の部分解が多くの社会的命を殺す

ノーベル賞受賞者は、全分野において精通しているわけではないことくらい分かりそうなものですが、残念ながら、この大合唱の元に、「感染リスクはゼロじゃない」という見方が、社会を振り回していると言えます。

ちなみに、私だったら、飛沫感染が影響なくなるような環境にするには、風速・風向きがどのようなものであるかをシミュレーションし、その結果を、換気扇のメーカーや、飲食店に広める、みたいなことをやります。

これも常識的に考えてみて、相対するヒトの間に、ある一定量の気流があれば、飛沫は流されるはずです。

そして、単位空間あたりの飛沫量がある一定数を下回れば、感染リスクは劇的に下がるはずで、その状態を作り出すにはどのような気流があればいいのかを割り出せば、社会に対して建設的なタネを撒くことができます。

危険性ばかりを抽出するような科学の使い方は、間違っています。科学は、明るい未来のために用いるべきだと思います。

国民の不安を煽るような記事は閲覧数が稼げるのかもしれませんが、このスタンスは、いまNHKの大河ドラマでやっている渋沢栄一ネタで言えば、『論語と算盤』のうちの「論語」の部分を忘れた「あり方」で、それは忌避されるべき「あり方」と言えましょう。

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