天才とは努力しうる才である 羽生善治 - NHKザ・ヒューマン

最近は、テレビ番組をリアルタイムで見る事はほとんどなくなっています。ほとんどすべて、録画した番組を後で見ると言うスタイルにしています。

家事育児の関係で、自分にとって見たいと思うもの以外を見てる時間があまりないからです。

では、どんな番組を録画するかと言う事ですが、

NHKのBSのドキュメンタリーやスペシャルを、気が向いたときに探してみて、面白そうなもの・気になるものがあったら録画する、と言う録画の仕方をしています。

そんな中で、NHKの「ザ・ヒューマン」という番組で、羽生善治さんのタイトルがありましたので予約をしました。

NHK ザ・ヒューマン
外部サイト番組公式サイト

もともと私は、将棋は下手なのですが、将棋の考え方についての本を読んだりするのが好きで、ブログにも書いたりしてるくらいなのですが、

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「羽生善治 天才棋士 50歳の苦闘」というタイトルを見つけて、見ずにはおけないと思いました。

で、先に感想からお伝えすると、

この番組を見て、「天才とは努力しうる才である」という格言の、生きた事例を目の前で見ることができて、

自分の中で、やはり「天才とは努力しうる人なのだ」と答え合わせができたようで、とても嬉しかったです。

なので、そのことをここに留めておきたいと思います。

僕らが知ってる羽生さん - 七冠王の天才将棋 棋士

ちなみに、私は1981年生まれなのですが、ちょうど父親から将棋を教えてもらっていたような時期(1996年)に、羽生さんという人が、史上初の七冠王になったということが鮮烈でした。

「羽生マジック」「羽生にらみ」「手が震えたら勝ち」といった言葉が現役だった頃の羽生さんを知っています。

で、当時の羽生さんの強さの秘密は、なにかのテレビで見たのですが、それまでの将棋棋士が学んでいた勝利の「定石」や「過去の対局の棋譜」を、全てパソコンにデータとして取り込んで、それを漏れなく、指し手の研究対象にしたということにあったように思います。

それまでの棋士は、書籍や経験だったのでありましょうが、要するに「ヌケモレなく」ということが難しかったようです。

その結果、羽生さんは、当時のタイトルホルダーを次から次へと負かしていきました。

私が知っている羽生善治は、天才の名を欲しいままにした無類の強さを誇る将棋棋士でした。

なので、最近になって将棋タイトルを持っていないのは知っていましたが、たまたまそういうタイミングなのだろう、くらいに思っていすが、実際は結構負けているという事実を知り衝撃を受けました。

今は負け倒していることに衝撃を受ける

その羽生さんを負かせているのは、藤井聡太さんや豊島竜王、渡辺名人なのですが、番組のなかでは、竜王戦が中心になっていて、豊島竜王にはホントに勝てないといったことでした。

で、そのときに「なんで?!」と衝撃を受けたのですが、今の若手棋士の将棋スタイルのことを聞いて納得しました。

今の若手棋士の実力は、当時の羽生さんが先駆的にやった「棋譜のデータベース化による指し手の研究」の現代版の、「AIによる指し手の研究」をしているということでした。

AI は人間の想像力の斜め上をいく手を指すので、その手を指されたとき、飽くまで人間の棋譜パターンの集積である羽生さんたちの世代には対処できなかったのだと思います。

ゲームチェンジとまでは言いませんが、それに近いような状況だと思います。

そんなこともあって、一時代の天才もまた、時代の流れに取り残されるのか、としみじみと思わされました。

羽生さんも AIによる指し手の研究を始めているらしい。御年50歳。

が、そこから羽生さんがどういう取り組みをしているか、ということが紹介されていたのですが、

なんと羽生さんは、今からAIの指し手の研究を始めているといのです。御年50歳です。

この年齢から、新しいことに挑戦できることに感動しましたし、またその挑戦とは、言わば「努力」なわけです。

そしてその時に思ったのが、この新しいものを取り入れようとする継続した努力こそが、羽生さんを天才たらしめていたのだ、ということでした。

そして冒頭の、「天才とは努力しうる才である」という生きた事例を目の前に見ているようで感動を覚えました。

天才については、芥川龍之介が次のように言っています。

天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。

同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。

後代はまたこの千里の一歩であることに盲目である。

記憶の糸『天才』についての見方 ※芥川龍之介の意見

ちなみに、「天才とは努力しうる才である」というのは、ゲーテの言葉でもあります。そしてゲーテは、自分自身の人生を振り返って、次のように言っています。

七十五年の生涯で、一月でも本当に愉快な気持ちで過ごした時などなかったと、いっていい。

たえず石を、繰り返し押し上げようとしながら、永遠に石を転がしていたようなものだった。

記憶の糸天才を間近に見る ゲーテの場合

この天才の努力の様を、自分自身に引き付けて、自分のあり方を律したいと思います。

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