禁止だらけの公園は 数年おきにルールを見直してはどうか

季節は5月。とある週末に、大きな公園に家族で出かけました。

砂のグラウンドや、芝生エリアや、林間のエリアがあったりと、かなり広々のびのびと過ごせる公園でした。

が、滞在中に、園内放送でしきりにあることに注意喚起していることに耳につきました。

それは、テントやタープは使用できないと言うことと、スケートボードなどが使用禁止であるというルールのアナウンスでした。

で、テントについては、実際に職員が見回りにきて注意喚起をしていたので、そこまでする理由はなんだろうか、ということを考えてみました。

スケートボードの禁止や止む無しか

まずはスケートボードについてですが、

考えられることとして、人との衝突リスクがあると思います。

ただ、歩行者にとって危ない、というなら、自転車こそ一番危ないです。

スケートボードの方が、ある一定のエリア内で使用していることが多そうだし、移動のために走っていたとしても、小回りが効くから衝突する確率は低いと思われます。

また、スケートボードのハード部分は小さなサイズです。それに比べれば、自転車のほうが「鉄の塊」でありましょう。

となると、仮に衝突したとして、そのときの怪我の度合いも、平均的に見れば、スケートボードのほうが軽症で済みましょう。

そうするとスケートボードの何が問題なの?と思いますが、ネットで調べてみると、器物を損壊する事例があるようです。

これは流石に、修理費が税金で賄われたりするので、見過ごすことはできないと思います。

テント・タープの禁止は一貫性がない

一方、テント・タープですが、

さすがにキャンプで使用する テント・タープだと、ペグダウンするためのロープが、キャンプ・タープの範囲を超えたエリアに出てくるので、近くを歩くと躓く危険があると思います。

ただペグダウンを必要しない、ワンタッチテントやポップアップテントであれば、この問題は起きないので、使っても問題ないのではないかと思います。

ただし、この公園では、それもダメということでした。

で、他に論点があるのかと思ってネットで検索すると、場所を専有するからダメ、というのがあるようです。

これなどは公園の広さと人口密度の兼ね合いでは問題にならない場合もあるはずです。

そして、もし「場所の専有」自体が問題であるならば、レジャーシートもダメにしなければならないし、レジャー用の椅子を置いて座ることすらダメにする理屈になります。

ここまでしていれば、病的だと思いますが、まだ一貫性があって納得できます。

ただ、この公園では、レジャーシートなどはOKなようで、私は椅子とコットだったのですが、ポップアップテントのようなものまでNGなのは、「いったいぜんたい何を守りたいのだろう?」と思ってしまいました。

多分なにも考えていない公務員。どういう提案ができるか考えてみる。

で、結論的には、ここを管理している練馬区の公務員は、苦情ベースや実害ベースでただ禁止ルールを追加しているだけで、なにも考えていないと思います。

だから、この公園単体では、より良くはならないし、練馬区全体としても公園利用の全体最適は起きないと思います。

たとえば、スケートボードは、東京オリンピックでは競技種目になるくらいのメジャーなスポーツに昇格しています。

であるなら、ひと昔前のように、「不良が溜まりやすい」といった印象で禁止する理由は採れないと思います。

ただ、私が上記で挙げた「器物損壊」という課題は残ると思います。スケートボードが、そういう使い方をするものだからです。

なので、これをクリアしていけばいいわけですが、であるならば、器物損壊がしないような専用の場所を設けるとか、あるいは公園内の区画を分けるとか、練馬区内の別の場所に、スケートボードで遊べるような専用広場を作ればいいのではないかと思います。

今のまま公園内のルールを放置して、それに反発する一部の人が、ルール無視で利用を続ける、ということは不健全極まりありません。

そしてテント・タープについていえば、

課題は「場所の専有」だと思いますが、これはペグダウンするテント・タープを利用NGにして、それ以外はOKということでいいと思います。

繰り返しになりますが、簡易テントもNGということであれば、レジャーシートがOKであることと完全に矛盾するからです。

公務員は、ルールは常に変化するものだという認識を持ってほしい

そして何より提案したいのが、

「ルールをいちど決めたらそれは未来永劫つづくもの」というルール観・ルールに対する見方を変えてほしいです。

これ、なにと同じかというと「憲法9条」と同じです。「男は外・女は家」と同じです。

共に、今の社会において悪影響を及ぼしているものの代表です。

これは過去に固定化されたかのように思えるものをずっと変えずにいて、いつの間にか時代に合わなくなっていて、社会の活力を削いでいる典型です。

ITテクノロジーがこれだけ浸透していれば、住民とのコミュニケーションも昔に比べると遥かに容易になっているわけだから、

公園運営についても、アンケートで意見を吸い上げることなど容易になっているはずで、そいういう環境の変化に合わせて、ルール改変×施策のスキームすらも変わっているといえます。

単に、公務員がそういう枠組みづくりを仕事としてやっていないだけです。

たとえば、かつては苦情を出した住民層が、今では少数派になっている可能性もあるはずで、そうなると、その住民層の意見を汲んで作られたルールは、いまは無用のルールなわけです。

ルールというものは、そういった動的なもので、静的なものであるはずがありません。

私は民間企業で仕事をしていますが、外部環境の変化を受けて自らを変えられないものは、個人であれ、組織であれ、会社であれ、いずれは滅んでいます。

競争相手のいない公務員は守られ続けるので、なお一層こういったことを意識しないと、地域を荒廃させるのみでありましょう。

そしてそんなことは、民間企業だから云々に関係なく、歴史を振り返ってみれば、どんな規模の組織でも起きていることです。一文明に至るまで。

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