バンクーバー

今年(2019年)のゴールデンウィークに、妻と子供(1歳7ヶ月)と一緒にバンクーバー(カナダ)へ旅行しました。

そこでまず感動したのは、街の人の、子連れ・子供に対する接し方です。

日本ではまずありえないのですが、やさしいのです。

そのやさしさの記憶と、なぜそのように振る舞えるのかの考察を、記憶の糸に連ねておきたいと思います。

カナダで感動した「やさしさ」の実体験

カナダで感動した実体験としては、以下のようなことがありました。

・バスで、なんとお年寄りが席を譲ってくれる
・バスで、若い人も年寄りの人も、ベビーカーが奥に行けるように声をかけてくれる
・街でもどこでも、子供がぐずっていると、「きっと自分で歩きたいんだよ」とか「きっと眠たいんだよ」とか声をかけてくれる
・レストランで、子供用の塗り絵が出てくる(つまり子連れが来店しても当たり前の状態)

こんなことは、日本ではまずありえません。電車のなかやバスのなかで、ベビーカーや赤ちゃんが迷惑というようなことでネット上には書き込みがある国柄ですし、

日本での実体験としても、迷惑そうな態度をされるのが普通だったり、いわんや、こんなこと↓は、絶対にありえないと思います

・バスで、なんとお年寄りが席を譲ってくれる
・バスで、若い人も年寄りの人も、ベビーカーが奥に行けるように声をかけてくれる

このような振る舞いをしてくれるバンクーバーの人には、本当に感動しました。

そして同時に、何故こんなに、カナダと日本で異なる態度になるのだろうということを不思議に思いました。

が、いくつか心当たりがあることもあったので、考えてみたくなりました。

そして先に結論を言うと、日本人が子連れにやさしくなるのは、残念ながら、「当分先」か「無い」というのが結論です。

優しさを感じるときってどんなとき?

まずは「やさしさ」を考えたときに、「矯正されたもの(外発的)」と「他者へのいたわり(内発的)」の2種類があるであろうことが頭に浮かびました。

前者は、マナーと言われる形で定式化されたものだと言えます。

たとえば、混雑するエスカレーターでもどちらかは空けている状態や、飛行機のなかで荷物を持ち上げるのに、重くて持ち上がらない人がいれば、それを手伝ったりするのがそうだと思います。

これは相手への「やさしさ」というよりは、その社会にいる人にとっては当たり前のこととしてやっているので、

本人たちの善意から出た「やさしさ」ではなく、それを受け取った側が「やさしい」と感じているだけのことでしょう。

後者は、「困った相手に手を差し伸べる」という類のものです。自分の善意から出たものと言えます。

これが本当に「やさしい」のだと思います。

こういったことを意識しながら、カナダ人の「やさしさ」について考えてみると、以下の3つのような観点で整理できるのではないかと思いました。

1)マナーとしてのやさしさ(外発的)
2)異文化への受容態度の延長としてのやさしさ(外発かつ内発)
3)経験値がある(内発的)

このそれぞれについて思うところを書き残しておきたいと思います。

カナダ人がやさしい理由の考察

1)マナーとしてのやさしさ(外発的)

まずはこちらについてですが、子連れに対する振る舞いのうち、この2つなどはマナーの範疇ではないかと思われます。

・バスで、若い人も年寄りの人も、ベビーカーが奥に行けるように声をかけてくれる
・レストランで、子供用の塗り絵が出てくる(つまり子連れが来店しても当たり前の状態)

子連れではなくても、ヨーロッパ方面の文化圏では、自分が開けた扉を、次に来る人が近くづくまで押さえて待ってる、

ということを経験したことがある人も多いと思いますが、あれだと思います。

ただ、このような振る舞いは、日本ではほぼ皆無ですので、日本人が海外旅行でそれをされたとき、確かに「やさしい」と感じると思います。

そしてこれをされると気持ちいいのは確かです。次からは、自分も相手にしてあげようという気持ちになります。

これがつまり「マナー」ということだと思います。

集団生活を送るうえで、その振る舞いをするとお互いに気持ちよく行動できる行動様式、というものです。

ちなみに、バスのなかで出会った小学生~高校生くらいではなかろうか、という人たちは、上記のような振る舞いをすることはありませんでした。

ということは、おそらく学校教育や、家庭教育を通じて、身につけていっているのではないかと思われます。

まさしく「マナー」は、そのようにして後天的に身につけるものであります。

ただ、子連れに対して上記のような振る舞いができるという点で、カナダのマナーの方が、日本よりも進んでいると感じます。

2)異文化への受容態度の延長(外発かつ内発)

これは、カナダ特有のことだと思いますが、カナダは「移民の国」です。

出会う人の考え方・感じ方は、まったく異なる人ばかりということになります。

こういった人たちのなかで円滑に行動するためには、形式化されたものとしては「マナー」があるでしょうが、

それでは拾いきれない領域について、相手を気遣う・相手をおもんばかるというスタンスがなければ、うまく行かないことが多いのではないでしょうか。

そしてそのスタンスが相手への「やさしさ」につながるのではないかと思います。

つまり、自分たちとは異なるライフステージの人たち(子育て・老年)を「時間軸における異(なる)民」と見て、相手を気遣う・相手をおもんばかるスタンスがあるのであり、

そこから出てくる振る舞いに、日本人は「やさしい」と感じるのではないかと思います。

3)経験値がある(内発的)

そしてこれは私の主観も多分に入ることになりますが、

いったい自分が相手にやさしくできるときはどういうシーンかということを考えたときに、

それは、自分自身が経験していて、避けることができない・頑張れとしか言いようがないことについては、相手に対してやさしくなれると思います。

過去のブログでもそんなことに触れていますが、

自分が本当に辛かったり大変だったことを、今目の前の人がやっていると思うと、やさしくなれるものです。

子育てについて言えば、カナダで出会った人は、お年寄りが多かったということもあるので、恐らくは、子連れ行動の大変さを身をもって知っているから、

同じ状況の人、ましてや旅行者(自分の国に来てくれている人)にはやさしい振る舞いができるのではないかと思いました。

これ↓などその最たるもので、

・バスで、なんとお年寄りが席を譲ってくれる

さすがにここまでくると、1)2)3)の複合要素だと思うのですが、とても気持ちよく、とても感謝したい気持ちになる「やさしさ」でした

またこの「やさしさ」が、マナーが出来ることに一役買っていると思います。

なぜならマナーは、よき経験知の最大公約数を形式知に置き換えたものに他ならないからです。

なので、この経験知の質が悪ければ、マナーは発生しないか、非常に人工的なものになり、少し油断すればたちまち瓦解してしまうマナーになることでしょう。

日本人が全体的に子連れにやさしくなれるのは20年後?

と、ここまで書いて、最後に日本のことにについても触れておきたいと思います。

この3つの観点で、子連れにやさしくなれるかどうかですが、

1)マナーとしてのやさしさ(外発的)
2)異文化への受容態度の延長としてのやさしさ(外発かつ内発)
3)経験値がある(内発的)

1)マナーとしてのやさしさ(外発的)については、社会的なルール化の問題で、日本人はこれは得意分野だと言えましょう。

エスカレーターで1列空けたり、電車のなかで通話をしなかったり、ということからそれが言えると思います。

ただし、私の記憶が正しければ、これらはすべて上から言われてそうなったというものです。

だから、「その方がいいよね」という経験に基づくものではなく、非常に人工的なものであるという印象です。

よって、子連れに対してのマナーを上から与えられれば、それに則ることはできるでしょうが、誰も腹落ちしないでしょう。

2)異文化への受容態度の延長としてのやさしさ(外発かつ内発)は、

これは日本人には無理だと思います。残念ながら。異文化がないからです。

この国で、普通の人の意識に上るのはせいぜい「多様性」であって、「異文化」とまでは行かないと思います。

3)経験値がある(内発的)ですが、

これと「1)マナーとしてのやさしさ(外発的)」との掛け算で、少しずつ過ごしやすい環境が作られていくのが望ましいと思います。

ただ、これが出来るようになるのはかなり先だと思います。

なぜなら、育児で公共の場で困った経験がある人が、圧倒的に少ないからです。

まず、私の感覚値となりますが、1970年代前半生まれくらい(現50歳前後)から前の世代は、子育てに参加している男の数はかなり少ないでしょう。

まだまだ男は外、女は内、という価値観の世代ではないかと思います。だから、育児の経験値が圧倒的に少ない人たちが大勢だと言えます。

一方、女性は?というと、「私たちの時代はもっと大変だったのよ」という、苦労自慢の感覚から抜けることができないと思います。

そうなると、男女ともに「あれは大変だよね」と共感できるようになるのは、いま子育てをしている30代(1980年代生まれ以降くらい?)が、50代60代になるころではないでしょうか。

だとすると、それは20年後くらいではないかと思います。

この頃になって、公共の場で子連れのお母さんが困っているときに、同じ経験をしてきた50代60代以上の年寄りは、やさしい言葉をかけることができるのではないかと思います。

少なくとも、私はそうしたいしそうありたいと思います。

ただ、唯一の懸念は、その頃は、独身人口も相当増えていると思われ、独身者は子育ての経験値がゼロなわけなので、苦労もわからず、

今と同じように、子育ての世代を口撃するかもしれません。

が、そうなればまたそれも日本のお国柄、ということでいいのかもしれません。

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