東大の秋入学は、本質的な課題解決になっているのか

東大の秋入学、世界の大学と入学時期をそろえることで教官や学生の交流をやりやすくしようという記事がありました。(日経新聞)

が、それが果たして本当の課題解決になっているのか疑問に思います。 そもそもの課題とはなんなのか。 恐らくは日本の大学の国際的な評価の向上でしょう。

では、大学の評価はなにで決まるのでしょうか。それは、研究成果と、産業界での人材の活躍ということになると思います。

そしてこれらはなにで決まるか。言うまでもなく、優秀な教官と生徒の確保ということになるでしょう。これ、「交流」だけで実現できることなのでしょうか。

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思うに、この課題を解決するためには、


1)人材の「交流」ではなく「獲得」

2)「獲得」した人材の、国内での活躍の場の確保


が必要なのではないかと思います。


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1)なぜ「獲得」なのかということについては、普通に考えてみると、ある程度の期間がなければ、成果を出すことはできないと思うからです。


「交流」というのはどれくらいの期間なのかは分かりませんが、そこまで長いとは思われません。また、期間が過ぎるとすぐにその研究場所から離れてしまうというのが「交流」だと思います。


期間が短ければすぐに成果は出せず、しばらくするお戻るのであれば、時間のかかる研究に取り組もうということにもならないのではないでしょうか。


教官の世界についてはよく知りませんが、学生(院生)については、だから交流ではなく入学、ということをしなくてはならないのではないかと思います。


そうなると必要になってくるのは、秋入学ではなく、たとえば英語での入学試験や、外国人が日本で滞在することの環境整備、日本語学校の併設とか。他に学費の免除的な費用負担を軽くするなどの施策なのではないかと思います。


2)そしてそれと同時に、「獲得」した人材の国内での活躍の場の確保、ということがまた重要になってくると思います。


先日の別の日経の記事にありましたが、博士課程の人材が活躍する場が、少なくとも産業界では乏しいようですね。

となれば、その人材は経歴を評価してくれる海外の企業に流出するか、そうでなければ新卒と同じように仕事をすることになるのだと思います。


それはつまり、専門分野において付加価値を出しやすい人的資産を、社会全体として最大限に活用できていない、ということを意味していると思います。


それが結局は、その頭脳という資産が生み出すであろう富が、海外に流れるか眠り続けるか、ということになっていると思います。


これを阻止するには、やはり専門知識の資源を活かしやすい場所を、社会ぐるみで確保する必要があるのだと思います。

たとえば、大学から産業界に働きかけて、いまよりもっと研究員の活躍の場を開拓し、そしてその場所を社会の中に意図的・継続的に作り出す必要があるのではないかと思います。


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以上は特に、教官や学生の成果や流動性を統計的に分析したわけではないので、根拠には欠きますが、見たり聞いたりしたところから考えてみました。。。


少なくとも秋入学にしたからといって世界的な競争力が高まるとは思えません。


ちなみに、中国の優秀な学生が、中国トップの北京大学の併願として受けうるのは、東京大学ではなく香港大学のようです。理由は、香港大学は英語での受験ができるからなのだとか。。。

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