
実際に子供をもってみて、ベビーカーを押していて、社会のバリアフリーということに接するにようになると、健常者のマナー意識がいかに低いかが分かります。
その代表的な例は、鉄道駅のエレベータです。
ちなみに私は東京在住なので、「東京圏の鉄道駅」というふうに限定をかけておきたいと思います。地域によっては、そのようなことがない可能性があると思いますので。
さて、その"いかにも低いマナー意識"についてなのですが、
そもそも駅のエレベータは、貼り紙にも書いてありますが、車椅子やマタニティやベビーカー利用者などに優先して使ってもらうために存在する設備です。
デパートのエレベータのように、上位階までエスカレータで行くのには時間がかかるので、エレベータの利用もできますよ、というような位置づけのものでは明確にありません。
それはエレベータの作りも見ても明らかで、入り口と出口のドアの位置が異なるタイプが多いと思います。これは明らかに、入ってそのまま方向転換をしなくても出られるように作ってあるからです。
にも関わらず、デパートのエレベータと同じ感覚で駅のエレベータを使っている人がなんと多いことでしょうか。
若い人も、中年の人も、普通にエレベータに並んで、普通に乗ります。
「優先対象」となる人が並んでいても、お先にどうぞ、とはならず、無視なのです。
周囲への配慮(マナー)について、融通の効かない人たち
こういった学校の教科書で習わないこと(マナー)に関して、底上げするように、社会全体として啓発できないものかと心の底から思います。
この点、日本人のマナー意識はかなり低いと思います。正直いって 日本人がマナー意識が高いというのは嘘です。
私の人生のなかで、それを経験したイベントが幾つかありますが、たとえば携帯電話の通話を、鉄道車内ではやらない、ということも、私の記憶では、車内アナウンスが流れ出してから、なくなっていったと記憶しています。
ですから、日本人は、自分たちでは気づけないのです。誰かに言われないと止めないのです。
それはマナー意識が、もともとは低いからです。
ですが、世間体を気にする民族である日本人は、言われれば止めだすのです。
そして、悲しいことに、今度は「止めた」「ここではやってもよい」ということを臨機応変に使いこなせないのです。
他人から強制されたマナーを頑なに守ることしかできなくて、融通が効かないというのもの、日本人のマナーに対する意識の低さが影響していると言えましょう。
つまり、自分自身の判断力が鍛えられていないのです。だから、「そうすべき」あるいは「止めるべき」状況が自分で分からないのです。
マナー意識についてはヨーロッパの人たちが一日の長あり
この点、見習うべきは、ヨーロッパ圏の人たちです。
彼らは若い人たちで、デカいスーツケースを持ってエレベータに並んでいても、優先対象となる人が来たら譲ります。私も譲ってもらったことがあります。
この対応は、私が大学生の頃に、ヨーロッパ圏を旅行して気づいたことでもあります。
そして、日本に旅行に来ているヨーロッパ圏の人たちも同じ振る舞いをしましたので、やはりそういうことが自然にできる人たちなのだと思います。
こういう「配慮の感覚」を自然にできる点は見習うべきだと思います。
日本人は、エレベータに並んでいたらそのまま乗ってしまうし、逆に、混雑している電車のなかで、お年寄りも誰もいないのに優先席に誰も座らなかったりと、融通の効かない一面があります。
ヨーロッパの電車のなかでは、対象となる人が来たら譲る、という光景でした。
こちらのほうが自然なことだし、マナー意識の根本の部分を押さえている気がします。
つまり、周囲にとって迷惑を感じる人がいるとき、必要なときにはそれをするし、そうでない状況ではしない、という根本です。
日本人の場合は、マナーとしてそういうものだと決まっていれば、迷惑に感じる人が周囲にいないのにも関わらず、マナーどおりに振る舞おうとします。
いかにも、マナーに対する理解が硬直的と言えましょう。
これは数学や物理なんかの学問でも言えることですが、基本を押さえていないから応用が効かないのです。
教えられた通りの問題には対処できるが、複合的な条件が重なったときのことは考えることができず何もできない、というものです。
もう少し、日本人は、マナー意識の根底を理解して、柔軟に振る舞えないものかと思います。
これは教育が教えるべきことなのか、政治が矯正すべきことなのか、一般常識に委ねるべきことなのか分かりません。
が、この国には、個人のマナーを「自然と」正す機会は著しく乏しいように思われます。
そして最後は、駅のアナウンスが矯正するのだと思います。
情けないことだと思います。