戦国屈指の教養人・天下の副将軍こと、伊達政宗の辞世の句です
曇りなき
心の月を 先立てて
浮世の闇を 照らしてぞ行く
伊達政宗 1636年没(享年70歳)
自身の人生を振り返って、母親から毒殺されそうになったり、父親を敵と一緒に鉄砲で打たざるを得なかったり、豊臣秀吉に屈せざるを得なかったり、朝鮮半島に出兵したり、関ヶ原で豊臣勢がひっくり返ったり、それで何とかしようとしたも、徳川家康に押さえつけられたり・・・と、
本当に、伊達政宗は、大将でありながら命の危機を何度もくぐり抜けてきているという、本当に一寸先は闇という混沌とした時代を歩いてきたからこそ、かくのごとき姿勢であらざるを得なかった、ということでしょう。
行動の指針となるものが「自分」しかない。
しかしその「自分」は、移ろいやすく、いつでも堕落してしまう自己だからこそ、「心の月」を自分で作らねばならなかった。。。
そしてまた、政宗にとっての「曇りなき心の月」は、虎哉禅師による厳しい教育に打ち鍛えられた「心の月」であったということを、見逃すべきではありません。