私は仕事柄、質問することはとても大事です。
新規企画を形にするとき、自分で業務のはじめからおわりまでを考えて、不明な点をすべて質問する、という質問の仕方をしています。
これで仕事がまわっていなくはないのですが、逆に、これ以外の質問の仕方を忘れてしまっている感もありましたので、
ひとつ、「質問とはなんぞや」というこを再認識しようと思って、この本を手に取りました。
このブログでは、この本を読むことによって得た気づきを記録しておきたいと思います。
「質問」の原理原則とは何か
早速ではありますが、この本を読んで改めて「質問とはなにか」ということについて、これが原理原則であろうと思われる、次のような文章がありました。
いい質問というのは、そこから行動を始めたり、仕事を始めたり、あるいは取り組みができるような質問のことです。あいまいにしていることを、自分が実際にできる具体的な問題に書き換えること。ベストな解決法でなくてもいいから、努力できる方法を見つける。それが「いい質問」の意味なのです。
『最高の結果を引き出す質問力』/茂木健一郎
これは、私の仕事での質問のあり方について、後押しをしてくれる内容で、自分の質問のあり方が間違っていなかったとホッとしました。
ちなみに、この文章で、私はもうひとつ、とても重要なことがあると思います。
それは、質問をする前に、始めるべき行動、始めるべき仕事、取り組みたい内容が、予め考えられてある、ということです。
これが前提としてあるから、踏み出せない懸念事項をはっきりさせるための質問が存在するのであって、
ということは、やはり何も考えていなかったり、受け身で仕事をする習慣がついてしまっている人からは質問は出てこないと思われます。
逆に言うと、自分も、そのような仕事の仕方に陥ると、質問を発することができなくなるので、注意が必要だと思いました。
悪い質問とは何か
で、上記ような原理原則からすると、当然のことながら「悪い質問」とはこのようなものです。
「こうするといい」と専門家なら分かっていることを教えてもらって、それに従おうとする質問は、悪い質問です。
『最高の結果を引き出す質問力』/茂木健一郎
これは、結局のところ、「そこから行動を始める」べき、「そこ」も分かっていないし、
「あいまいにしていることを、自分が実際にできる具体的な問題に書き換える」べき、「あいまいにしていること」が、自分で分かっていないと言えましょう。
このような質問は、「質問」というよりも、ただの「教授」の「依頼」でありましょう。
質問の体を装っていても、質問ですらないということです。
ただ、「これこれについて教えて下さい」と言っているのと同じです。
「自分はこう思う」を認識することから質問が始まる
上記までのことから、質問に決定的に必要になるのは、質問に先行して「まず自分はこう思う/考える」ということがなければならないということです。
本書の文章を倣うと、
なんとなくモヤモヤしたり、イライラしたりしていても、「自分はこんな感情でいるのだな」と言葉で認識することなく過ごしている人が多いようです。自分が「なにかイヤだと思っている」とまずしっかりと把握しないと、「変えよう」という気持ちになることはできません。
『最高の結果を引き出す質問力』/茂木健一郎
ということなのだと思います。
おっしゃるとおりで、仕事の場面でも、よく「何を質問すればいいかが分かっていない」という言葉がありますが、まさしく上記の仕事版だと思います。
モヤモヤした業務理解をクリアにするためには、業務の流れのなかで、どこが不明瞭なのかの場所くらいは特定されていなければなりませんが、
その「業務の流れ」を、自分の頭で仮説としてでも持っておかないと、そもそも不明瞭な場所が存在しないことになります。
よって、質問などできるはずがない、となります。
この本を読んで、我が振り直すところ
この本を読んで、これからの質問の仕方で注意をしたいと思った点は、もっと「行動を促す」きっかけになる内容であることを意識すること、だと思いました。
油断すると、自分には、「こうするといい」という知識レベルの回答を乞う質問になってしまう可能性があると思いました。
この点は、意識しておきたいと思います。