子供目線の教育が、子供を不幸にする

企業の新人教育の知見から、「子供目線の教育」なるものについて思うところを書いてみたいと思います。

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4月に入り、新社会人にとっては緊張の日々、企業側にとっては、新社会人を早く戦力化すべく研修にパワーを割く季節が始まりました。

この研修においては、業界の基本的な知識・スキルを習得させるような内容はあるでしょうが、やはりビジネスマナーや協働の体験をすることが主のように思われます。

ここで新社会人は、これまでの自分たち流儀の行動パターンや思考パターンに、ビジネス流儀の行動・思考パターンを上乗せさせて行くことになります。

自分流儀の悪きを捨て、ビジネス流儀の良きを取り入れ、これから何年もかけて、自分流儀の再構築していく営みが始まるのです。

数年の後、郷に入りては郷に従いながら流れに乗りつつ、その流れを掴み、この流れでいいのか?最適な流れとは?という試行錯誤が始まることでしょう。

その段階に至るまで、スタート地点として研修やOJTがあり、長い道のりを、先輩・上司・取引先に伴走(指導)していただくことになります。

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そして残念なことに、この途中で離脱する人もなかにはいます。(前向きな理由で離脱する人は除きます)

私の見るかぎり、人事の不運なめぐり合わせや健康の問題の人もいますが、そうでない人に関して言えば、自分流儀に土台に新たな流儀が乗らなかった人、あるいは、その乖離のなかでうまく折り合いをつけれなかった人たちです。

もちろん、その場合でも社会には受け皿はあるし、他に活きる道もあります。ただ、それによってその後の選択肢の幅は狭まります。一般論ですが、人生の選択肢は、狭いよりは広い方が安心して生きていけます。

そしてここで指摘しておきたいのは、土台に乗らない・折り合いがつけれないところには、その状況における人との関わり合いが大きく影響しているということです。

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このことはビジネスの世界に限らないことです。

我々の存在を意味する「人間」という言葉自体が、「人の間」となっています。

つまりは、「人の間から逃れられない」と言っています。

だから人との関わりのなかでの距離の取り方 ― いかに振る舞い、いかに耐え、いかに無視し、どこまで本心を出し、隠すのか ― を、ある程度使えないと、
社会人になって、急激に関わる人の種類が増えたとき、さまざまな要因により、自分を統御できなくなるのだと言えるでしょう。

そしてこの距離の取り方を身に着けるためには、経験していく以外に道はなく、幼児~成人の間に、質と量を拡大させながら、少しずつ獲得していくのだと思います。

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ここでやっと、「子供目線」の教育ということに触れるなら、

昨今、子供を伸ばすことを目的によく使われる言葉ですが、その子が赴こうとする所を肯定するのだ、という意味で扱うなら、どんな傾向に対しても適用するのはまずいでしょう。

これまで書いてきたことを踏まえるなら、「人の間」から遠ざかろうとする本人の傾向に対してだけは、大人の判断を入れて矯正すべきだと思います。

・・・そして矯正すべきことを更に付け加えるなら、孟母三遷よろしく、「人の間」から遠ざけようと作用する環境・道具に対しても、です。

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