我が家は3歳の息子がいる共働き世帯です。
いまこの瞬間でいえば、家事育児はそれなりに回っていると言えます。
ストレスゼロとは言いませんが、前回に夫婦喧嘩したのはいつだったか、忘れてしまうくらいです。
もちろん、かつては しょっちゅう言い合いはありました。
そのなかで、家事を分担を見直したり、あれこれするなかで、私の家事育児の担当領域が拡大していったことが、家庭における妻との諍いが無くなっていった要因だと思っています。
ちなみに日々の家事育児のなかで、私(父)がやっている領域は、以下のようなものです。
・風呂洗い(毎日)
・トイレ掃除(ほぼ毎日)
・ゴミ出し
・洗濯(出来るときにいつでも)
・食材などの買い物(出来るときにいつでも)
・子供のオムツ替え(うんち付き いつでも)
・子供の歯磨き(朝)
・子供の風呂入れ(子供が指定するのでほぼ毎日)
・子供の週末の公園遊び(公園で本人が帰りたくなるまで)
・子供の体調不良時のクリニック通院(基本、順番交代)
・子供のアレルギー検査の病院通院(基本、順番交代)
・保育園の送り迎え(送りは毎日。迎えは週2日分)
・子供の弁当作り(アレルギーなので)、夫婦用の弁当作り(平日のうちの2日分)
・家庭の晩ごはん作り(平日のうちの2日分)
・食器洗い(食洗機で。出来るときにいつでも)
一方で、よくネット上のニュースなどを見ていると、家事育児の問題や、折しもコロナ流行によって在宅時間が増えることで、家庭内不和が顕在化したり、という記事を目にします。
そしてこれらについて、並列で語られるのが「自分の時間を持つのが大事だ」というような意見なのですが、はっきり言って、「自分の時間を持たなければならない」とするモノの見方(特に夫)こそが家庭円満を妨げていると思うようになっています。
目次
自分がほしいと思っている「自分の時間」とは何をする時間のことですか?
まずここでハッキリさせておきたいこととしては、「自分の時間」とは何をする時間のことですか?ということです。
恐らく、スマホとか、テレビ見るとか、漫画読むとか、ゲームするとか、ネットサーフィンするとか、そんなことだと思います。
ちなみに、中長期的にやりたいことがあるための勉強等が出来ないから「自分の時間がない」と言っている人は、単に隙間時間を捻出してコツコツやるやり方に取り組まないだけの、自分自身に対する工夫や努力をしたくないと言っているのと同じお馬鹿さんなので、そのことを自覚して、細切れ時間を捻出するスタイルに変えれば事足ります。
また、仮に「旅行」や「ショッピング」など、そこそこ時間が必要になるものが「自分の時間」というのであれば、相手の気持ちを考えることを捨象するなら、なんのことはないパートナーと調整して、ただ行けばいいだけです。
で、上記の「スマホとか、、、」というのは、要するに、息抜きであり、暇つぶしです。
どう考えても、「自分の時間」というのは「ド短期の暇つぶし」のことだと言わざるを得ません。
なるほど、これは確かに大事なことであると思われると思います。
今までの自分が、この「暇つぶし」を生活サイクルに組み込んでいるなら。
が、この「暇つぶし」は、「独身生活」から「夫婦生活」や「子育て」という前提条件が変わると、タバコ級の「百害あって一利なし」に変わります。
その「自分の時間」は、自分を蝕んで、まわりを苛立たせている、最悪の選択肢です
ここでもう一度、「自分の時間」の使い方の例を挙げておきます。
スマホとか、テレビ見るとか、漫画読むとか、ゲームするとか、ネットサーフィンするとか、そんなこと。
これらは、仮に独身時代で考えてみても、「自己投資」とか「有意義」とかいう概念とは反対のものです。非生産的な惰性の時間です。
別の言い方をすると、もし子供がやっていたとすると、時間制限をかけたいもののはずです。
ちなみに私は、非生産的な惰性の時間は要らないとは思いません。絶対に必要です。人間にはそういう部分が必要なのです。
が、独身のときは、そのことに時間を存分に充てたとしても、誰も「ネガティブな感情を抱く」ことがありませんでした。
ただ、協同生活(夫婦生活)になってくると、一方が働いていて、一方が働いていないと、働いている方がどうしても「ネガティブな感情」を抱いてしまうことに気づくべきです。
「私はやっているのに、なぜあなたはやらないの?」と。
こんなことは、人生のなかで誰でも経験したことがある感情だと思います。
それを、協同生活(夫婦生活)になったとき、「惰性の時間」を取りすぎると、相手にそう思われてしまう、ということです。
そして、惰性の時間のなかでも特に「スマホ」ついて言えることは、私も少し違う文脈でブログに書きましたが、スマホは麻薬だということです。
記憶の糸_過去記事ゲーミフィケーションによる子供の学習は害悪である
スマホのなかのサービスは、脳みその中枢を刺激して、「見たくなる」ように作られています。
スマホ利用を続けると、ますます「惰性の時間」を肥大化させる方向に拍車がかかります。
結果、自分を中毒化させていきつつ、家庭内のネガティブな感情も大きくしていくという、自他ともに転落させる最悪中の最悪の選択肢だと言えます。
「自分の時間」を「自分が家事育児でできること」に充てると家庭の景色が変わります
で、我が家はもともと、役割分担をしていたのですが、自分の担当が終わったとき、妻がなにか家事育児をしているときに、私は上記に近いような状態でいました。
そしてやはり妻のイライラが募ったのです。役割分担をしているから、それさえ終われば、好きに自分の時間を過ごしていては。。。
子供のお弁当作りも、はじめはすべて妻がやっていましたし、晩御飯の準備もすべて妻がやっていました。
トイレ掃除や、お風呂掃除も交代でした。
これとて、当時は均等になるように役割分担をしたはずなのですが、育児のなかでは子供が母親に甘えてしまって手が離せなくなる局面がどうしても来るのです。
子供の世話が済んだあとに、本人の担当だからやってもらうのではなく、そういうときこそ、スマホなんてしてないで何か出来ることをやる、というふうに切り替えていくと、妻の負担は物理的にも精神的にもどんどん減っていきます。
そして、自分自身について言えば、半強制的にスマホを見なくなるので、中毒症状も無くなってきます。
こうなってくると、家庭内の不和がウソみたいに減ってきます。
大変さが減っているわけではありません。分かち合って、相手もしんどいことを双方が実感しているからです。
このあたりのことは別の切り口で以下のブログにまとめています。
記憶の糸 - 過去記事家事育児の分担があっても夫にイライラが止まらないときの解決策 > 家事は男がやるしかない
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ちなみに、子供が母親に甘えてしまって手が離せなくなる以上、仕事と家事育児が、どちらが大変かと言えば、家事育児と言わざるを得ません。
仕事は、どちらかというとコントロール可能です。まったくコントロールできない仕事をしているとするなら、それは就職を失敗しています。転職すべきです。
育児は、完全にアンコントローラブルです。
これは経験してみないと分からないでしょうが、たとえば0歳~1歳くらいにときに、眠い・お腹へった・うんち出た以外で泣き続けられると、途方に暮れます。そして、段々とイライラしてきます。
そして、共働きであれば、育児のあとに仕事が控えているのに、それに取りかかれず、毎日のようにこの状況になるわけです。
だから育児のほうが圧倒的に大変です。
「俺だって外で仕事してるから大変だ」という意見は、社会経験の不足からくる意見だと言わざるを得ません。
家事は、細切れにしてルーチン化すると信じられないくらい楽です
そして、家事育児のうちの、特に家事のほうは、
曜日を決めて溜まったらやる、というやりかたよりも、
ちょっとずつ毎日やる、という方が、圧倒的に精神的に楽です。
それは特に、このあたりに当てはまります。
・洗濯
・トイレ掃除
・ゴミ捨て
これらは溜まってからやる、となると、
洗濯は、ベランダなどに干すのがとても手間です。でも、極端な話、服1枚を干すのはとても楽です。だから洗濯物入れに溜まってなくてもコマメに洗濯するのです。
そのことで、電気・水道代を使うのはアホらしいと思うかもしれませんが、そのコストだけで、イライラがなく家庭内不和がなくなら安すぎます。
トイレ掃除は、気持ち悪くて嫌になります。これも、毎日トイレクイックルワイパーでサッと拭いて、便器のなかが汚れていたらタワシでこすればすぐに取れます。そうすれば、そもそも気持ち悪くなるまで汚れません。
気持ち悪い汚れはないから、掃除をするときに嫌な気持にまったくなりません。
ゴミ捨ては、ゴミ捨て日直前だと、ゴミ箱が溢れかけていたりしてイライラが溜まりやすいので、これも小まめにゴミステーションに出してしまいます。夏の時期などは、マンションや地域によっては腐るのでダメというのがあるかもしれませんが、それ以外の季節であれば出来るところも多いのではないでしょうか。
このあたりに、毎日小まめにやることを習慣化する、というのは以下の過去記事でも書いていますが、
記憶の糸 - 過去記事小さなイライラの原因は、ルーチンのなかで解消するしかない
「困難は分割せよ」(デカルト)という格言は、家事に本当によく当てはまります。「家事は分割せよ」です。
家庭の状況が変わると、結果的に、本当に自分の時間が持てるようになる
こうして、夫婦間に「家事育児の分担についての不和」が無くなると、家庭内の他の不和も一気に減ります。
なぜなら、精神的に余裕ができれば、ちょとしたことでイライラしないからです。
逆に、精神的に余裕がなければ、ちょっとしたことでイライラが爆発するからです。
そして、その結果、恐らくですが、本当に自分のしたいことの時間は作りやすくなります。
まず、害悪となる「自分のしたい時間」は、ほぼ消えています。
そして、家庭内に精神的に余裕があると、たとえば1人でまとまった時間を使いたいと言っても、それは夫婦の軋轢にならないと思われるからです。
そんなわけで、家事育児を「自分の時間が持てるように役割分担」していると家庭内不和が収まらず、基本ルールは決めているものの、一度本当に自分の時間が無くなるくらいまで夫側が、その瞬間できることをすべてやったとすれば、かえって健康的に自分の時間が持てるようになると思います。
自分の時間を家庭のために使っていると、かえって、自分の時間が入ってくる感覚です。
何やらキリスト教の、「与えよ、さらば与えられん」という法則がここにもあったか、という気がしています。
少なくとも、私はいまこの瞬間はそれに近い家庭状況です。
またいつ崩れるか分かりませんが、そのときにまた立ち返れるように、このブログ記事を残しておきたいと思います。