記憶の糸
皆さんが故郷に対して愛着を覚えているとしたら、それはどういう要因が多いでしょうか?

たとえば、故郷を離れて毎年でもいいし、数年ぶりというのでもいい、離れた時間が経つ。

そして久しぶりに帰ってきたみたら、そこかしこに自分が子供の時に遊んだ畑や町並み、そこにいた人たちがそのままいる。

そこかしこでなくてもいい、部分的にでも残っていれば、それだけ十分に往時を思い出すことができる。

そうやって思い出に浸れる場所がある、その場所を大事にしたい、その場所がいつまでも残ってくれればいい、そして元気になってくれればいい。

こんな思いが折り重なって、「愛着」という感情を覚えていく(湧く)のではないでしょうか。

逆に、すべてが作り変えられていて、自分の思い出を何一つ見つけることができないとすれば?

そこに懐かしいという感覚はもはやなく、愛着もまた育まれることなく薄れていくことでしょう。

また他方、上記のような場所に、飛行機・新幹線での長旅の末に戻ってきたとき、そこに自分が昔よく目にした「土地の名前」があったとき、

ひとは「帰ってきたんだ」という安堵の感情を抱くことができる。

それは例えば、長く海外出張をしていた人が、飛行機で「JAPAN」に到着したなら、その感情はいっそう増すのではないでしょうか。

そして何のことはない、この感情は、海外→日本、日本→地域(関東・関西・東海・九州・北海道・・・)、地域→市区町村という構図の中でも感じず にはいられないことでしょう。

その土地の名前は、自分がその故郷に立ち入ったことを自覚させてくれるトリガーになりましょう。

そして他ならぬ、その地名に、長い歴史をいまに伝える意味があったればこそ、人はその地名に特別な思いを持てるのではないかと思う。

これは論理的な話しではない。極めて本能的な話だと思う。

「南セントレア市」が葬られたのも、極めて健全な本能だと思う。

だから、この自分を育んでくれた場所がそのままであれ面影を残しているであれ、ちゃんとあること。そして、その名前があること。

この2つの要素が、人をしてこの故郷とつながりを持つ一人であることを自覚させてくれるのでしょう。

そして、泉佐野市は、そのひとつを今まさに放棄しようとしている。

もし市名を売るなら、せめて何らかの場所において何とか元の地名を残しておいた方がよいのではないか。

そうであればこそ、泉佐野市に愛着を持つ出身者が、なんとかせねば、と立ち上がる未来の可能性を残しておくことになることでしょう。

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