モンテッソーリ教育にキュボロはいらない

私には、1歳5ヶ月の子供がいます。

最近、子供を持っている同僚や友人と会話になると、教育のことが話題なったりします。

その中に、学研や公文、インターナショナルスクールや七田式教育、モンテッソーリ教育が含まれています。

で、少し前に、天才として評判の将棋棋士の藤井聡太プロが、モンテッソーリ教育を受けてきたと言うことで、その教育の代表例のおもちゃという形で、「キュボロ」なるものが紹介されました。

キュボロ ベーシス cuboro 並行輸入品

 
この「キュボロ」ですが、藤井棋士が、子供の頃に、おもちゃとして遊んでいた知育玩具ということで一気に有名になり、今では入手するのにプレミア価格でとても買えない高価なものになってしまっています。

で、そんなことを見聞きすると、高価でも買ったほうがいいのだろうか、という気持ちになってしまうのが親というものなのですが、

このほど、そもそもモンテッソーリ教育とは何かという本を何冊か読んで、キュボロは全然要らないものであることを確信しました。

その本と言うのはこちらです。

モンテッソーリ教育には、専用のおもちゃなど存在しない

この本で、モンテッソーリ教育とは何であるかということが、豊富な事例を挙げて書かれています。ちなみにそれは要約すると以下のような感じです。

要約して言えば、
子供には、生物としてプログラミングされてるなすべき事とその時期があるので、親はそれを見出して、そのことを十二分にやり遂げれる環境を整えよ、ということになります。

モンテッソーリ教育の考え方は、親が何かを与えたりするのではなく、子供が自ら選び取ったことを、可能になるように環境を整え続けるというものです。

つまり、親は、子供が何を選ぼうとしているのかを観察し、そのモノと場を提供するという役目を負います。

更にもう少し言うと、モンテッソーリ教育は、子供の感覚器官と運動器官をバランスよく育成することで、自立した子供になっていくというものなのですが、

この、感覚器官と運動器官をバランスよく連携させるのに必要なのが、集中して何か作業をさせることなのです。

そして、「モンテッソーリ」と付いている知育玩具は、このバランスよく連携させる作業の要素を抽出したものになっているのです。

が、熱中する対象を決めるのは、あくまでもその子供です。

その熱中の対象が、その子にとっては、キュボロだったりするわけです。

なので、キュボロを子供が選びやすいのではなくて、子供が選んだのがキュボロだった、というわけです。

※ちなみに、モンテッソーリ教育の具体例よりも、より考え方に近いところを知りたい場合は、同じ著者の別の本がオススメです。下記のブログでまとめておきました。

モンテッソーリ教育は、その子が熱中できることを見つけて環境を整えてあげるだけ

ゆえに、その子供の興味の対象が、キュボロでなかったとしたならば、もちろん買っても無駄ですし、そんなことよりも折り紙を折ったり、洗濯物をたたむ事がその子にとって熱中の対象になるのかもしれません。

要は、熱中して体を動かし、自分が集中している状況が続くことによって、感覚器官と運動器官の統合が行われていき、それによってそもそも「まなぶ」とは何かということを幼少期に学ぶと、それが一生モノの行動パターンになって、人生を切り拓いていける人間に育つ、と言うのがモンテッソーリ教育です。

ある有名人の天才が、これこれのおもちゃを使っていたから、これが良さそうだと言うふうに、その玩具を揃えるよりは、

この子がどういったことに興味を持ちどういったことをやりたがっているのか、ということを観察して見出して、それに合った素材(場合によってはおもちゃ)を提供することが大事で、

その主たる場所は、日常生活のなかにある何かに他ならないということです。

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