記憶の糸

人間関係は、おおよそにおいて悪いことの方でよく意識されるものだと思います。

そしてそれを癒してくれるのは、ただ「時間による忘却」のみ、ということは誰しも実感するところではないでしょうか。

そこに「忙しさ」が加われば、かなりの短期間で忘れることができます。そして心は平穏を取り戻す、というわけです。

が、「時間」の効果は、「恩」や「情」といった、人間関係の良い部分についても同様に働くものと思われます。

師弟関係、友人関係、 婚姻関係。受けた「恩」、温めた「情」も、「時間」によって薄められ、「忙しさ」がそれを加速させる。

親しかった人も遠ざかり、 気づいてみれば、自分のまわりにいるのは、日常の付き合いのある人だけ、という事態になってしまうと思います。

さすがに親子関係は何があってもほぼ切れないでしょう。

が、赤の他人との関係である、師弟、友人、婚姻においては、その関係を結び付けている「恩」や「情」は、時間の効果によって確実に薄まっていくと言えます。

そして時間が経てば経つほどに会いづらくなる、という心理的な作用も働き、ついには人間関係が消滅してしまう。

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これは食い止めるべきだと思います。なぜなら、人が享受できるすべての良き感覚は、他人との関わりの中にしか存在しないからです。

で、それを食い止めるためには何が必要でしょうか。私は、「相手も自分も、そのために時間と労力を使う行為」、に取って代わるものはないと思います。

ためしに、年賀状で親しい友人から自筆の葉書がきた場合とメールがきた場合、素直にどちらが嬉しいでしょうか。誕生日に言葉だけか、贈り物をもらうか、どちらが嬉しいか、そういう素朴な問題だと思います。

ちなみに、メールやSNSは、そのようなタイミングで、人同士を結びつける場の構築の手段として、大いに活用すべきものであるものと思います。

では、その行為を実行するきっかけをいかにして作るか。

そこには、年中行事や季節の慣習を利用するのがもっとも自然であると考えます。

なぜなら、年中行事は、伝統的なものは、殆どがその地域・文化の季節の節目を押さえているからです。季節の節目を押さえているとうことは、そこで生きる人の生活リズムにも馴染んでいるといことです。

つまりそれらは、忙しい時期や休む時期、食べ物が美味しい時期や、収穫の時期、生理的にバランスが崩れる時期などに、巧みに合わせてあるといえます。

※参考情報:日本文化いろは辞典 

余談ですが、そういうタイミングで挨拶しやすいように、「時候の挨拶」というものまで整理されているのではないでしょうか。

なので、この年中行事というものは、そのときに声を掛けるのに「自然さ」を感じさせるものであり、これを利用しない手はないと思います。

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こうして見ると、先人たちから受け継がれた年中行事というのは、そいういう知恵を内包したものだと思います。

もちろん、それらがサラリーマン社会や地域社会のなかで、義務化・固定化され、その有難味よりも、煩わしさの方が前面に出てきていた感は否めません。

が、そういう風潮もだいぶん後退したのではないでしょうか。だから逆に、大切にすべき交友関係については、年中行事を大いに活用し、自然に人間関係を保つべきだと思います。

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仕事の日々を暮らすなかで、時間が過ぎるのがますます早くなってくるのを感じる今日この頃、こんなことを考えていました。


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