私には3歳5ヶ月の息子がいます。
恐竜にハマっていて、図鑑とDVDをよく見ています。
今はとても恐竜に関心を持っていて、そこから私は、絶滅したのが隕石が原因で、隕石は宇宙から降ってくるという流れで、宇宙に興味を持ってもらえないかなー、なんて思っています。
テレビを見ているものの、釘付け状態ではないので、ひとまずは大丈夫か、と思っています。
が、ここに至るまでには、明確にこれに惹かれるとマズイというのがありました。
それは『お母さんといっしょ』です。これに子供がハマっていましたが、マズイと思ったのは、これを見ているとき、魂を抜かれたかのような表情でテレビを見ていたのです。
幸い、長期旅行の折、テレビを見ない時期が続いて、結果的に『お母さんといっしょ』から離れることができたのですが、あの表情は、まさしく機械に使われているという顔でした。
楽しんでいるのではなく、楽しまされている。
集中しているのではなく、集中しているかのようにさせられているとでも言いましょうか。
そんな印象だったのです。
子供の好奇心を広げたり行動を促すというものが重要
そんな経験があってから、私は子供が何かをしているとき、その表情を見たり、自発的に「自分で見たい」かどうかを気にするようにしています。
そして、真剣な顔で見ているとき、この子は集中しているのだと思っています。
「自分で見たい」と言うとき、好奇心を刺激しているのだと思います。
なので、そうでは無いもの、つまりは「ただ惹き寄せられていくもの」は、できるだけ遠ざけるようにしています。
そしてこれがまた、以前に幼児教育の本で読んだモンテッソーリ教育にも関係していると思われます。
記憶の糸 - 過去記事
モンテッソーリ教育の「考え方」が学べる一冊。結果、自宅で何をすればよいかが分かります。
モンテッソーリ教育にキュボロはいらない
幼児教育の基本的な考え方を知らなとHOWに振り回されることになる
ソニー創業者(井深大)の幼児教育論で、忘れていることを気づかされる
公園でヨーヨーのパフォーマーに惹かれる
ところで最近、新たに「自分で見たい」と言ったものがあります。
それは、広い公園の一角で、大道芸人がやっていたヨーヨーのパフォーマンスでした。
それまでも、公園に大道芸人が来ていたのですが、本人は、砂場とか滑り台などの遊びをしていて、チラ見をしても無視でした。
が、ヨーヨーは、なぜか他の遊びをやめて「見る!」ということでしたので、一緒に見ることにしました。
ヨーヨーのパフォーマンスは、ヒラクという人のパフォーマンスで、どちらかという大人向けでした。
外部サイトヨーヨーパフォーマー/ヒラク
ただ子供は真剣な顔で見ていました。
これはその時にもらったヨーヨーです。ご本人のサイン入りです。
もしヨーヨーをやり始めたいとなったら、これを使ってもらおうと思います。
ヨーヨーも、体を使う遊びなので、子供がやりたいと言えば、どんどんやってもらいたいと思っています。
好奇心を広げず、新たな行動を留めるするのは何か→ゲーム・YouTube
そんなこんなで、子供の環境づくりは、大人は気を遣う必要があると思っているのですが、本当に、子供を誘引する「きっかけ・装置」が多いと思います。
幼児教育においては、これだけ「体を動かす」といったことが大事だと言われながら、なんとその反対のものが巷に溢れていることでしょうか。
私は、本当に、そういうものとの付き合い方を確立してほしいものだと思います。
たとえば、アルコールやギャンブルは20歳から、となっていますが、
ゲームやYouTubeなんかも、幼い年齢の子供には見せてはいけないということが、法令ではないにしても、社会的な合意といいますが、社会通念といいますか、そんな次元で形成されて、
それに沿った「きっかけ・装置の露出」などが自然となっているような状態になればよいのに、と思います。
このままでは、無気力な子供たちが大量発生して、20年後30年後に、社会に暗い影を落とす気がしてなりません。