「数学」「物理」の 漫画化 は、知性を破壊するか

「フェルマーの最終定理」はどうなったのか、気になって、あるとき本屋の学術コーナーで数学の本を探していました。

そこで気づきましたが、数学や物理の説明本でも漫画が多いですね。それを見て心配したことがありました。

それは、数式や物理式が表している現象を漫画(絵)で説明してしまうと、その式が表している事を自力で理解に落とし込む力が失われはしないか、ということです。

なぜ漫画による説明がここまで溢れるのか

で、そもそも何故に漫画がこれほど広がりを見せているのか、というところから考えてみました。

いつぞやに読んだ本によると、そもそも人間の脳は文字情報がインプットされると、それを脳の棚に入れる時に、一旦、映像や音声に変換するそうなんですね。

最近オーディオブックが学習に効果があると言われて注目されているのも、書物の文字情報→音声の「変換」がない分、脳みその棚に格納されやすくなるので、理解や記憶の定着がしやすいからだとの事です。

なるほど、この理屈でいくなら、漫画がうける理由は単純明快で、「分かりやすいから」「脳の負担がかからないから」という事であるといえます。

これに絡んで、もうひとつありそうです。これも何かの本で、「脳は怠け者」という内容を読んだことがあります。

脳は、自分が働かなくても済むように行動を採ろうとする、とのことです。だから(脳の負担がかからない)漫画が広く受け入れられるのは、人間の本能の部分でも後押しがあるからなのかもしれません。

「分かりやすい」は脳の「変換する力」を弱める

ところが私が思うに、人の「脳の力」というのは、上の「変換作業」そのものじゃないの?ということです。

で、そういう「変換の力」は、勉強の分野だけではないですよね。

仕事上の付き合いとかで「相手の立場にたって」とかそういうこともまた、脳の「変換の力」だと思うのです。

だとすると、漫画の「分かりやすい」とか「負担がかからない」という一見のプラス面は、実は「分かりにくいものを分かりやすくする」とか「別のものに置き換えてみる」とか、そういう脳の力を自分で使うことを退化させてしまうことと裏表だと思うのです。

まとめますと、

まとめますと、

数学や物理の漫画化に対する私の危機意識としては、漫画の「わかり易さ」は、難解な世界への扉を容易に開けてはくれますが、次の扉を自分で開ける力が失われるのではないかということです。

人の考えたことを理解することと、自分で生み出すこととの間には、天と地ほどの難しさの開きがあることは言うまでもありませんもんね。

・・・

漫画で失われる力を一言で表すなら、

脳みそで映像を組み立てる作業に関わるすべて

とでも言うべきでしょうか。。。

冒頭の『フェルマーの最終定理』の本を読んだのですが、この定理を解いた数学者は、フーリエ変換というものを用いて解いたのだとか。

これは簡単にいえば、別の次元の世界にこの世の物事を置き換えて、あっちの世界のルールで解いて、それをこっちの世界に置き直すというものです。

またしく、脳による変換、なのでした。。。

 

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