いま3歳11ヶ月の子供がいます。
幼稚園(延長保育あり)に通っていて、夫婦は共働きで、家事・育児も双方できるだけ分担しています。
そんなわけで、育児も分担しているので、私(男)のほうでも幼稚園の送り迎えから、曜日によってはお弁当や晩御飯の準備もしていますが、
そういう育児を通じて、はじめて獲得する感情というものがあります。
独身や子供がいない状況では、恐らくそう思うことはなかったであろうというものです。
それがこれです。
・この子のためなら自分が犠牲になっていいという感情
乳児のときから育児に参加しているから、というのもありますが、子供は、本当に「親の存在なくしては生きていくことができない存在」です。
そして、イヤイヤ期であろうが、カワイイ期であろうが、その子は「今この瞬間を全力で生きている」のです。
この2つのことを思うと、親の都合に沿って反応してほしいという気持ちもありますが、遂には、子供の「全力で生きている方に向き合おう」と思うに至るわけです。
なぜなら、親の都合なんて、保育園・幼稚園にいく前後や、土日においては、ろくに有意義な時間でもないはずです。
でも、その時間も、子供は全力で生きているのです。
「ご飯が嫌い」というのも、「お風呂に入りたくない」も、子供にとっては全力でそう言っているのです。
だとすると、子供の全力に向き合うほうが有意義に決まってます。
幼稚園登園時の出来事
夏休み明け、しばらく幼稚園に行っていなかったことが影響しているのでしょうが、
幼稚園に行くのがいやで、登園バスに乗らずに、自転車で送ったのですが、幼稚園の前で、どうしても自転車から降りることができません。
で、いろいろと話しかけてみるのですが、そうすると泣くのを我慢して、涙目をこするのです。
自転車を降りてからも、「行きたくない」「父ちゃん母ちゃんと一緒にいたい」と足にしがみつくのです。
幼稚園に着いてから門に入って先生に引き渡すまで30分くらいかかるのが、かれこれ連続3日という感じですが、
これもまた全力でそうなわけです。こういう体験をすると、子供を守ってやらねば、という感情が湧いてくるのでした。