人間の幅を広げようと思ったら、今の御時世、1人の経験範囲は狭すぎると思います。
よって、読書で、自分では出来ない疑似体験を積むしかない、というのがあります。
というわけで、いろいろと本を探していると、又吉直樹さんの『火花』(芥川賞受賞作品)がいいという話を聞きましたので、手に取りました。
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芸人という職業における実体験を吸収してみたいと思います。
理屈を知っているだけではできない。才能があっても受け入れられない。
この本を読んで思ったことは、これは表現する者の葛藤の書だと思いました。
それはこんな引用から垣間見ることができます。
「一つだけの基準を持って何かを測ろうとすると眼がくらんでまうねん。たとえば、共感至上主義の奴達って気持ち悪いやん?共感って確かに心地いいねんけど、共感の部分が最も目立つもので、飛び抜けて面白いものって皆無やもんな。阿呆でもわかるから、依存しやすい強い感覚ではあるんやけど、創作に携わる人間はどこかで卒業せなあかんやろ。他のもの一切見えへんようになるからな。これは自分に対する戒めやねんけどな」
『火花』-又吉直樹
神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけれど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。僕は、結局、世間というものを剝がせなかった。本当の地獄というのは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。神谷さんは、それを知らないのだ。僕の眼に世間が映る限り、そこから逃げるわけにはいかない。自分の理想を崩さず、世間の観念とも闘う。
『火花』-又吉直樹
ただ、これなどは、芸術全般に置き換えても全然言えることだと思いますし、会社で、B2Cのサービスを立ち上げたりする企画についても同じことが言えると思いました。
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ここは自分のなかに経験としては、ぼんやりあるなぁ、という感じでした。ただこれに明確な輪郭を与えてくれた気がしました。ありがたいと思いました。
芸人しかできない実体験
ちなみにここなどは、私自身の実体験にはない感覚なので、引用しておきたいと思います。
世間からすれば、僕達は二流芸人にすらなれなかったかもしれない。だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持など微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。
・・・中略・・・
必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
『火花』-又吉直樹
これを経験するということは、会社勤めをしている自分には、遠く及ばない覚悟と精神力の世界だと思います。
あの世界(漫才)で頑張っている人は、こういう状況をくぐり抜けてきているのだなぁ、と思わされました。
そう思うと、この本のなかにもよく出てくるシーンですが、芸人の人が、夜遅くまで飲み歩いたりしている気持ちが分かる気がしました。
家に一人でいたら、とんでもない不安に襲われるのではないかと思います。
なにの保証もないなかで、自分のアイデアとか、自分の存在とかをネタとして漫才をひねり出すという。
そしてそれを、「明日がどうなるか分からない」という世界で本当にやり続けている人が、何を感じ、何を考えているのかということに触れることができる一冊でした。
大変ためになりました。