記憶の糸

「大学は量より質である」

そう言って、文部科学省が定めるすべての審査項目をクリアした3大学(秋田公立美術大、札幌保健医療大学、岡崎女子大)に対し、大臣の一声でその認可を認めなかったものの、わずか数日でそれを謝罪とともに翻したのが、田中眞紀子氏である。

大学のあり方自体に対する考え方は、大いに議論の余地のあることだと思う。が、今回の件で、もはや明確だが、この人は物事の進め方についての著しい拙さがある。

その拙さとは何かといえば、「大臣がやる・やらない」といえば、それで物事が進むと考えている点だ。

おおよそ、リーダーの立場にある人は、始めから終わりまでの見通しを立ててから行動に移るものである。

そう教えてくれ、そして私自身も仕事で成果を挙げることができるようになったから、これは間違いのないことだと思う。

過去ブログ
伊達政宗に学ぶ ※徳川幕府成立~家光の治世
豊臣秀吉に学ぶ ※明智光秀討伐~畿内掌握
八甲田山死の彷徨 を読む ※指揮官・リーダーのあり方について思ふこと

物事を進めるにあたっては、見通しを立て、それを遂行するにあたって、利害関係者は誰か、そして何が課題となり、その解決に何が必要か。

そういうことの情報収集ならびに、関係各方面との合意形成、もちろん反対側をどう押さえ込むかも含めて。

それらを熟慮したうえで、しかもなお、それを「いま」実行すべきか「いつ」実行すべきか。

そうしたうえで「決断」を下すのがリーダーなのだと思う。

そういう意味では、田中氏は、なにかリーダーの位置にいる人が「こうしろ」と言えば、それで実行部隊が勝手に動いてくれるとでも思っている節がある。

いや、田中氏だけではない。首相時代の鳩山氏も、対米外交で同じようなことをやったと思う。

ようは、今まで野党だったり外野だったりで、物事を進めるためのプロセスというものを経験したことがない人たちが、その馬脚をあらわし続けているのが、民主党政権の今日までの総てだと言っても過言ではないでしょう。

※余談ですが、民主党マニュフェストにあった、高速道路無料化とか子供手当てとかも総てそう。その結果に対する見通しがまるでなかったから総て失敗している。

ちなみに、大胆な行動で知られる歴史上の人物、かの織田信長も、奇襲作戦その他の作戦において、可能な限り、関係方面との調整に手を尽くしたうえで実行している。

が、歴史教科書や歴史ドラマでは、そんな裏方の事情には触れられず、一声の大号令の元に、物事が華々しくも大胆に動いていくように描写している。

そんなことで政治が動いていくという認識は、お子様レベルなのだと思うが、田中氏の今回の騒動は、そのレベルの認識から出た意思決定だと思わざるを得ない。

加えて、田中氏における小泉政権の外相時代の更迭劇を見ても、思ったことを口に出してしまっているところに端を発している。だから田中氏は、骨の髄までこういう人なのだと思う。

そしてやはり、そういう人をわが国の大臣にすべきではないのだと思う。

おすすめの記事