真のDX(デジタルトランスフォーメーション)とはどんな状態か
Napoleon courtyard of the Louvre museum at night time, with Ieoh Ming Pei's pyramid in the middle.

IT業界のキャリアとして新卒から18年、Sierから出発して、事業会社でWebサービス立ち上げなど、プロジェクトマネージャー・プロダクトマネージャーをやってきている身として、自分の考えを留めておきたいと思います。

ちなみに、これを書いておこうと思ったきっかけは、コロナの給付金申請で、申請はアプリからできるが、裏の本人確認や入力番号間違いチェックが手作業という状況を耳にして、日本はIT後進国であるという確信を深めたからです。

ちなみに私は、直近では製薬業界の「治験」という業務のオンラインサービス化を手掛けましたが、そこでの要件定義の場で、「いま手でやっていることをそのままITに置き換えるだけ」(例えば、ワークフローシステムと称して、今までの紙帳票をPDF化して、そこにデジタルで承認印を押す仕組みを作る)というアイデアがあって、それを「目的と照らし合わせて」葬ったのですが、

日本のIT化というのは、一事が万事この水準で発想されている気がしてならないのです。

もし私だったら、PDF化なんてやめて始めからオンライン入力とし、そこで入力された申請内容が、業務上の負荷とどのような相関関係にあるのか、を把握できるような仕組みを考えると思います。

そんなことはひとまず置いておいて、DXの骨子について、自分の考えを整理していきたいと思います。

概括:ある案件のITソリューションは部分最適でしかありえないが、それが全体最適につながっているように設計されていることが重要

さて、IT化は、短くいうとこの章のタイトルのとおりです。

私は、我々の「いかなるタスク、いかなる業務、いかなるサービス、・・・」は、すべてピラミッド構造になっていると捉えています。

よって、ある案件で、1つの業務・1つのタスクを改善することが、前工程・後工程だけではなく、上位工程・下位工程にも役に立つか、という観点を入れて目の前の業務を改善すると、それは、その部分最適だけにとどまらず、全体最適につながっていくような形になるのです。

で、正直なところ、後工程・前工程、上位工程・下位工程の4方向を見渡せるくらいの人が、部門長や、実務のマネージャーなどは着任すべきです。

もし、そのような観点を持っていない人が、リーダーポジションに立っていると、部分最適にとどまって、拡張性を持たせないでソリューションの全体像を描いてしまうため、上位工程や下位工程で利用できるようにしようとすると、また新たな案件ができてしまう、という不毛を繰り返すことになります。

リーダークラスに、業務を見渡せて、かつ、ITリテラシーのない人が就いていること。これが日本がIT後進国にとどまっている諸悪の根源だと私は見ています。

そして、つぎの根源は、これを請け負う、コンサルやSierは、そのことを知っていて「その部分最適」しかしようとしないところにあります。

「お客様がこう言ってるから」というのは、確かにそのとおりですが、それは程度の問題です。あまりに部分最適すぎるのであれば、請け負う側としての良心をもう少し出すべきでしょう。

ただ、「ITリテラシーの無い得意先」に付き合う(振り回される)のも、パワーを消耗するので避けたいという事情もよくわかります。

よって、諸悪の根源は、発注元企業側の部門責任者のレベルということになります。

単一ソリューションは最低でも入力データを集めれるようにしておくべき(部分最適→全体最適)

上記は全体観の話だったので、すこし各論に入りたいと思います。

部分のソリューションを考えるときに、もっとも外していけない観点は、「何かのデータ収集になっているか」という観点です。

DXやITソリューションと呼ばれるような変化は、作業をデジタル化することには必ずなります。

が、上記で触れたように、紙帳票の申請をデジタル化する場合、極端に書くと、

・紙のままPDF化してデジタルな承認印を押す

・紙の内容をはじめから画面入力させてデジタルな承認印を押す

だと、前者はまったく拡張性がありませんが、後者は少なくとも入力されたデータを他で使うことができる可能性を残します。

そして、このときに、上位工程のことを意識するならば、

入力と同時に、「この情報を付加しておくと上位職の人が見やすいはずだ」ということになります。

社会人をやっていると分かると思いますが、一番細かい粒度の情報は、自分から見てより上位になるほど、どんどんまとめられていきます

そうしたレポートを作るためだけに、1日かかった経験は誰しもあるのではないでしょうか。

データを最適に設計しておくと、そういうことが瞬時にできるようになりますし、結果的に上位職の意思決定のスピードも上がりまる。

これが、部分最適→全体最適のいちばんコンパクトな例として挙げておきたいと思います。

ちなみにこれが連鎖すれば、会社の意思決定のスピードも上がるというものです。

ITソリューションの案件化をするにあたり、単純に実務をする人の作業時間が短縮されるだけ、という時代はもう遠の昔に終わっていると思ったほうがいいでしょう。

収集データが、別のデータと組み合わせることで価値を発揮すること(全体最適)

そして、部分最適→全体最適を常に意識したつくりになると、この章のタイトルのとおりです。

単一ソリューションの、単一データだけでも役に立ちますが、それが容易に別のデータと掛け合わせたりできるとまずは成功だと思います。

なぜなら、自分の上位職のもうひとつ上位職くらいになってくると、部門横断的に見ていかざるを得ないからです。

単純に考えて、社長は全部を見なければなりません。

というように、職位が上に上がれば上がるほど、横串で見る範囲が広がってきますから、そういうところのデータと掛け合わせて使えるかどうかを意識すると、これはもう全体最適の領域だと思います。

ちなみに、この内容になってくると、部長級以上の人間が構想する必要があると思われます。

なので、たとえばITベンダーにソリューションを丸投げしている人がいるとしたら、その人は、部長級に相応しくないといえます。

自分で業務全体を把握していないと何も検討・判断できないでしょう。

会社で、IT業界の専門誌を読んでいるようでは駄目なのです。あそこに書いてあることは、所詮は「HOW」だけです。

そもそも、何をすべきか、は、自分の目で見続けないと把握しようがないのです。

収集データが、次のソリューションの種になっていること(未来最適)

そして全体最適を意識できると、つぎは未来最適です。

このソリューションによって、集まってくるデータと業務が効率化されたことによって、次に生まれてくる「より良い状態はなにか」を意識することです。

私は、ここまでいって初めて、「IT後進国レベル」ではなくなると思っています。

いわば、攻めに転じることができるというものです。

BtoCのサービスにいきなり話が飛んで恐縮ですが、Googleが一番分かりやすいかと思います。

Googleは、検索エンジンから出発していますが、そこで収集される「ワード(データ)」を軸に、新しいサービスを立ち上げてきました。

直接のマネタイズは、広告モデルに大部分を依存しているようですが、

この「データ収集」を、いろんな方面に拡大させ、そこにサービスを作り、またそのサービスでデータを収集し、それが検索エンジンの精度のアップにつながり、・・・というサイクルが見事にハマっていると思います。

こういった概念を、会社業務に適用して、会社内でそのサイクルがまわりだすと、まさにDXだと思います。

その企業が誕生した時点でまだITがなかった時代の企業群は、こうしたことに取り組むべきだし、

それは、トップ(社長)のITリテラシーがないとどうにもならないと思います。

ちなみに今、私の目に写っているのは、ITリテラシーが低い大企業や古い企業は、コンサルやSierが寄生虫化しているだけのように見えています。

そして、時代の流れについに乗れずに巨像が倒れるその日まで。

私は、自分が関わる得意先には、絶対にこういうことはしたくないと考えています。

「最適化」ということに対する自分たち日本人の思想的クセを知っておく

最後にですが、日本人の「最適化」に対する思想的態度の特徴を書いておきたいと思います。

日本人は、「ちょっとずつ良くする」という考え方がとても下手です。

いきなり「100%の完璧」を目指します。

これは、ITソリューションにとっては致命的な考え方です。

なぜなら、「100%を志向すれば拡張性はなくなる」からです。

この思想的態度は、戦後にモノづくりをやってきたから、、、と思う人もいると思いますが、もっと根深いと思います。

はるか昔からです。

私は、法隆寺と、サグラダ・ファミリアやルーブル美術館との対比にそれを見ます。

法隆寺は完璧です。どれくらい完璧かという、たとえば屋根の勾配は、雨水が落ちたときに最も速く落ちるようになっているくらい完璧です。

現代の用語でいえば、「サイクロイド曲線」なのだそうですが、これを当時の職人が完璧に仕上げたのだと思います。

後世の人が、イチミリも手を加えることができません。

が、一方で、サグラダ・ファミリアというスペインの大きな教会は、1900年頃からちょっとずつ、しかし着実に完成に向かっているのですが、これは始めに存在した詳細な設計図をそのまま使用しているわけではなく、

後世の人の想像力を借りながらも、作業が続いているようです。

一方、ルーブル美術館も、いまの美しい外観は、実に拡張につぐ拡張(1500年代から1700年代)があったのですが、それでいて外観の統一性というものが十分にあると言えます。

このように、ソフトウェアを生み出した西洋人は、「ちょっとずつ良くなる」というモノの扱い方を歴史的に持っていると言えます。

そして、ITソリューションも、まさしくこうしなければ、時代の変化にも耐えられないし、そもそもスタートもできないと考えています。

自分たちが自然に発想する発想方法では、「完璧を目指す」バイアスがかかっていることを忘れないようにしないといけないと思います。

以上が、DX(デジタルトランスフォーメーション)についての私の考えでした。これは今後の私自身の振り返りの指針としても、ここに留めておきたいと思います。

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