記憶の糸

以下のことは、会社であればよく経験することかもしれません。

・自分の考えに全く反論がなければ、その考えは、それはそれで本当に正しいのかどうか不安を覚える。

・あるいは、あるひとつの考え方に誰からも批判がなく、皆が右ならえになる状態は危険ではないかと思う。

恐らく理想的な状態として、ある考えに批判が加わり、その批判を克服していく形で、ある考えがますます強化・洗練されていくのが望ましいと、誰しも思うのではないでしょうか。

また個人のプレイベートな次元で見ても、配偶者・恋人・友人・知人において、そのみんなを自分と同じ感じ方・考え方で固めてしまうと、自分がしたいと思うことで相談をしたとき全く異論がないのであれば、やはり不安になるのではないかと思います。

なぜなら人は、それなりに社会経験を積めば次のことを感得しているからであります。

ある判断において「正しい」というものは存在せず、どれも「ある立場の人が正しいと思うひとつの考え」にすぎない

つまり、自分であれ組織であれ、健全に判断しようとするなら、「ある考え」とそれとは異なる「他者の考え」から「両者を包括するより良い考え」へ至る必要があり、そのためには「他者の考え方」が必要不可欠ということです。

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このことを国家運営レベルにあてはめて考えてみれば、いくつもの政党の存在がその役割を果たしているといえましょう。

さらにその政党の構成員が誰かといえば、各地域の代表です。

なるほど国家運営は、「日本」の発展を考えるべきであり、ある特定の地域のみの発展に偏った施策をするわけにはいきません。

だから「国の発展」という大目的のため、各地域がそれぞれの「地域の発展」という立場で意見を述べるということは、日本全国のバランスを保ちながら国家運営をするうえで重要なのだと思います。

これをある特定の地域 ― 都市か地方 ― の発展を優先させるようになれば、そのどちらかが荒廃する判断をしてしまう可能性は比較的高まると思われます。

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現行の小選挙区制における「一票の格差是正」は、こうした危険を孕んでいないか、と思います。

一票の格差を是正するとは、当選議員の得票数をならすことであることを考えてみれば、確実に、有権者の少ない地域からの代表数は減り、有権者の多い地域からの代表が増えることになります。

そうなれば、いまの日本の人口集中分布を考えると、国会議員の数として、地方と都市部のバランスが崩れることは必定です。

バランスが崩れれば、国会での施策決定の原則は多数決である以上、都市部の意見がとおりやすくなる。とりもなおさず「代表」は、その地域の代表なわけですから、そうなれば都市部に有利な施策が実施されていき、農村部の荒廃は免れないでしょう。

いや、農村部が荒廃すること自体が問題なのではなくて、日本の中に都市部も農村部あるのであってみれば、日本の発展とはこの両方の均衡ある発展を意味するのであり、その発展の健全な議論をするにあたり、どちらか一方の意見が存在しなくなる・極めて弱くなることが問題なのだと私は思います。

思考の次元で見ても、仮にどちらかの存在が死滅すれば、冒頭に返りますが、「ある考え方」とそれとは異なる「他者の考え方」のバランスが崩れ、「両者を包括するより良い考え方」への思考が不可能になるというものです。

よって、一票の格差是正については、当たり前のように語られていますが、よくよく考えると、必ずしもそうではないのではないか、という疑問を呈しておきたいと思います。

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蛇足とはなりますが、この手の話になると、違憲の判決だから、とか、あの国はそうだからという記事をよく目にします。

違憲に関していえば、憲「法」は、国家の上にあるものではなくて下にあるものです。つまり、その時の国家の状況に応じて変更するのが憲法です。憲法はなにか世俗を超越した倫理的に高度な規準などではありません。

過去ブログ:「国際司法裁判所での決着」は理想主義

また別の国の事例については、果たして前提条件が同じなのかどうか疑ってかかることが肝要と思われます。人口密度の分布などを考慮すれば日本との違いが明確になるのではないでしょうか。

以上、昨今の「一票の格差問題」について、立ち止まって考えてみました。

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