「国際司法裁判所での決着」は理想主義 ※韓国・竹島問題に寄せて

まずは、法律と政治の関係について、国際政治の代表的論者、E.H.カーが『危機の二十年 - 理想と現実』で述べたことを箇条書きにします。

■法律の出自
- 法は自己充足的ではありえない。法を遵守する義務自体が、常に法以外のなにかに依拠しているからである
- 法は何か永遠の倫理的原則から生まれるのではなくて、特定の時代、特定の共同体における倫理的原則から生まれるのである
- われわれは、法自体が依拠する政治的基盤や、それが仕える政治的利益とかかわりのないところで法を理解することはできない

■法律と政治権力
- 法律は、それを施行(強制)する政治権力を前提としている必要がある
- 政治権力が存在しているとは、とりもなおさず共通の価値観を持った社会が存在しているということである

■国際社会における法律
- 国家に道義的行動を強制できる国家以上の権力は存在しない
- 共通の規準をすべての国家に守らせることは難しい・・・なぜなら、ある道義的義務はつねに絶対的と考えられているが、一方でこの道義的義務の絶対性は、同じ義務を他者もまた実行するだろうという合理的な期待を持てるかどうかに左右される強い傾向がある
- 「公平であること」は、相対立する二つの見解の間に何らかの共通基盤のないところでは無意味な概念である。司法手続きは、相互に了解された政治的前提がなければ機能しえないのである

法律が強制力を持つ条件

まとめると、法律が有効であるのは、

1)法的な価値観を共にする共同体があり、

2)その法律が依拠する政治権力が、共同体員の合意によって運営されており、

3)法律に違反したときの「罰」の感覚の共有ならびに、政治権力がそれを強制することができる

というものです。つまり、共同体・価値観・政治的権力が噛み合っている空間においてのみ、法律は有効に機能するということです。

そして云うまでもなく、「司法裁判」が成立するのは、この状況下においてです。

上記のことは、一国のなかで考えてみれば十分に納得できることではないでしょうか。

それでは、この範囲を国家間にまで広げてみたいと思います。

そう考えると途端に「司法裁判」なるものが機能しないことが見えてくるのではないでしょうか。

なぜなら、国際社会を上の1)~3)に対応させると、

1)法的(国家間であれば条約)な価値観を共にできない

2)その法(条約)が依拠するのは締結時のよりパワーを持つ側の国家に依拠しており、この力関係は時代に応じて変わる

3)ある国家の行動はその成員にとっては「罰」たりえない。そして、その行動を矯正する有効な政治権力は現在存在しない

からです。司法の「裁判所」が機能する前提はなにひとつとして揃っていないと言えましょう。

だから国際的な司法裁判所である国際司法裁判所(ICJ)への提訴には、手続きとしてまず当事国同士の共同付託を必要としているのです。

つまり、お互いに共通の価値観がないことは承知のうえで、それでもここで決まったことを守りますか?と、始めに尋ねているわけです。

そしてイエスといえば、では法による解決をしましょう、というのが、ICJなのです。

竹島問題において日本では、この当事国間同士の価値観を合わせようとしない(韓国の付託の拒否)ことを批判する向きもありました。

が、「法律」の成り立ちや「国際政治」の常識を考えれば、相手の行動は当然、ということになります。

このあたりのことをはっきりと認識したうえで韓国に対処すべきで、ICJへの付託を拒否した韓国にいちいち腹を立てるのは、「国際司法」なるものに対する認知不足とも言えます。

いまは竹島は韓国が実効支配をしている以上、取り返すのであれば、使える外交カードを切って圧力をかけていき、いつかどこかで取り返せるタイミングを待つしかないのだと思います。

司法的な解決は不可能です。もちろん、国際社会に対しては、日本領であることの正当性をしっかりと主張して、その認知を高めることを忘れてはいけないと思います。

ちなみに「共同管理」がいつも提示されますが、これも韓国の立場になってみれば、現在実効支配をしているのに、それをするメリットはあまりないのではないでしょうか。

過去記事中国対応、「解決策は尖閣諸島の共同管理」という意見に一言

国際司法の場で決着をつけることは唯一解ではない

国際政治の歴史を辿ってみれば、国際紛争を司法で解決できるというのはある種の理想主義です。

他国は皆「平和的解決」と言いますが、そこには「理想としては」の仮定があることを見落とすべきではないでしょう。

「平和的解決」を言うすべての国は、それで解決しないことを知っているからこそ軍事力を持っているのです。

いや、「法(条約)」もまた政治権力の大小によって変わると知っているからこそ、軍事力を持っているのです。

アメリカやEUが「平和的な解決を」というとき、そこには「何が何でも」とは思っていないであろうことを、我々は知っておくべきです。

しかも、このE.H.カーが言っていることとしては、紛争状態を解決する手段として、戦争状態にならないのであれば、「武力威嚇」による「戦争が発生しない解決」もまた、「平和的な状態遷移」とさえ言っています。

※第一次世界大戦という巨大な戦争のあとであれば、この理屈は納得いきましょう。

続けてカーは、「だからそうなりたくなければ、それぞれの国が国力(軍事・経済)をつけて、相手の挑戦を封じ込めるしかない」とも言っています。

このような歴史的な経緯や知見を知ったうえで、我々は中国・韓国と対峙する必要があるのだと思います。

おそらく彼らは、このような理屈で動いています。韓国の大統領が「いまの日本はかつての日本とは違う」と発言したのがそれを証明しているといえましょう。

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