記憶の糸
誰か。人の自発的な行動を阻んでいるのは。

今年一年を振り返ってみて、社会状況に対して、そのように思います。

そう思うに至る象徴的なこととしては、記憶に残っているところで、コミュニケーション・情報収集の文脈でのスマホ利用、未婚者の女子会、健康ブーム(トマト・サバ缶)などがあります。

これらは、次のような類のものであると言うことができましょう。

・「何か」をしないことによる
「後ろめたさ」を持っている各人に、

・「しなければならない」ことを紛わして
くれそうな「口実を与え」てくれ、

・ 紛わしてくれるものであるが故に、
「何か」をやっていないのではなく、
半ばやっている、という感覚を各人に
持たせるもの、

と。

で、それでもいいじゃないか、という見方はもちろんであるでしょう。

が、そもそもの出発点である、「後ろめたさ」は、何かを「しなければならないが、やらない」という、各人の「怠惰」に発しており、その「怠惰」を温存させる方向に作用するものが、人をなにか良き方向に導くということはありえないと思われます。

なぜと言って、ここで良き方向とは、怠惰に打ち克って行動に移ることであり、怠惰とはどの宗教においても攻撃の対象となっている、人を前進を阻害するものだからです。

いや、宗教などということを持ち出さなくても、身の回りの怠惰な人、あるいは自分のなかの怠惰を見てみれば、怠惰がなんであるかは分かりましょう。

そして、どう見ても、スマホや女子会やお手軽健康は、達成したいことを彼方に置きつつも、怠惰を温存し、目的地には絶対にたどり着けない仕組みになっています。

※※※

こうした「怠惰」を温存するサービスや流行は、今後もすがた形を変え、誰かが生み出し続けることでしょう。

その誰かとは、「企業」であり、それに吸い寄せられる「個人」であり、その状況を是認する「メディア」であり、それらが作りあげる「社会の空気」。

そして気づいてみれば、いつの間にか「やらなくていい理由」と「やってる気にさせてくれるもの」に、空気のごとくに、取り囲まれてしまうことになる。

更には、それが「空気のごとく」なるが故に、誰も気づかず、少しずつ「自発的な行動」が解体されていくことになると直感します。

そんなことが目に付くようになってきた、というのが、この一年の印象でした。

来年も、こうしたことに対して、感度を高めて検知し、改善策を考えていければと思います。

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