ビジネスにおける「考える」ということ。

「考える」ということは、ある理想状態と、現状とから、いかにして理想に近づくことができるか、

これにつきます。

考えるという行為は、ある理想状態を「自分で立て」て、そのために何をすればいいか、というところから出発する。

いまの教育では、大学まで含めて考える必要がない

私は大学を卒業(工学部卒)する頃には、考えるということが分からなくなっていました。

なぜなら、授業に関することは、論理を覚えて、それを試験で使用するのみだったし、

実験ということでも、計測すべき内容が決まっていて、そのための実験の方法も決まっていた。(しかも先輩の補佐)

そうなると、大学にいながらですら、「考える」とは一体なにか、ということになる。

「頭を使う」といっても、せいぜい暗記とそれを適用するのみだった。

社会人になってもしばらくはそれが続く

この「頭の使い方」は、社会人になってもしばらく続き、それで苦しんだ。

仕事は、先輩が取引先と握ってきたことをその通りにやるのみだったし、

自分が思いついたものでも、責任がつきまとうから、先輩に言わせるほうが精神的に楽だった。

が、自分が取引先と直接仕事をするようになってから、状況が変わった。

私はSIerで受託開発だったが、その取引先の人から、常に課題に対して「君としてはどうしたい?」と聞かれ続けた。

「それはお客様の担当範囲です」とは言えなかった。客にすべてを決めてもらって、そして言われたことをただ実行するのでは、自分の存在価値がないから。

そしてそのような仕事の仕方は、卑怯だと思ったから。

だから、取引(システム開発上)上の理想状態から、限られた予算・コスト・期日のなかでできることは、A案・B案・C案とあり、そのうち、自分が推すのは●案で、理由は、、、とうい回答を常にセットで考えるようになった。

その頃から、明らかに自分の「頭のつかい方」が変わった。

さらに企画部門で変わった

ところで、上記の頭の使い方は、「何をするか」が決まっていて「どう実現するか」というものだった。

社会人としては、ここまで出来なければ、正社員としての価値はない。これは私が自分自身に科していることでもある。

さらに私は企画系の仕事にどんどん寄って行った。

「どう実現できるか」を自分で考えるようになって、プロジェクトマネジメントのスキルが格段に上がり、プロジェクトの失敗を殆どしなくなった頃から、不確定要素の多い、新規事業立ち上げのプロジェクトマネジメントに関わるようになっていったからだ。

そしてそのうち、企画も任されるようになった。結果、「何」から考えるようになった。

これは、圧倒的に頭の使い方が違う。

何故なら、すべて仮説のもと、ゴール(何)を自分で設定するからだ。

そしてこの仮説を立てるために、自分の経験とか、直観とか、実感とか、このサービスを使ってくれる人はどう思うか、とか客観的データを総動員する。

とにもかくにも、一言でいえば「直感」から出発して、主観・客観を含むデータを使ってその「確からしさ」を思考実験する。

これが「考える」ことなのだとしみじみと思う。

そしてこれができるようになるまでかなり苦労した。

今の学校教育では、その機会が無いのが宿命

今の学校教育では、大学に至るまで「考える」訓練の場が本当にないと思う。

もちろん、それが「教育」の宿命だと思う。

教育は、「教え」て、それに沿って「育てる」だから、文字自体が、自分で考えさせようとしていない。

加えて、知識と絶対量が少ないうちでは、「何」を「考える」ことは不可能だともいえる。

ただその萌芽を育てる試みはされてしかるべきだと思う。

たとえば、過去にテレビで見たのが、ある国では、

 5+10=?

となるところが、

 15= □ ? □

となっているとか。

これなどは、答えに至る「どう実現するか」を自分で考えることになるから、「考える」ことの萌芽を育てる試みになるのかもしれない。

それでは日本人の思考やマインドや生産性を毒する

私は社会人をしていて、最近、自分でゴールを描けない人(自分が「何をすべき」か分からない人)に多く会う。

それどころか、「どうやるか」も、漠然としていて、その順番を組み立てたりすることが、自分でできない人が多い。

もっといえば、「どうやるか」も、やり方の「正解」が与えられないと進めない人がいる。

これはその人のスキルや資質の問題として片づけてしまえばそれで終わりだが、結局はそういう人たちと仕事をせねばならないとなると、そうも言ってられないだろう。

そして、そのような人材は、やはり生まれからずっと、自分で考えるという訓練の機会を持ちえなかったからだろうと思う。

私は幸運にも、厳しく叱ってくれた人が社内外にいた。もちろんその時は、五里霧中でもがいていて、疲れ果てる毎日だったけれども。

そしてこんな人材を大量に吐き出しているのが、今の学校システムで、これは欧米という手本があるときにはうまく機能したことは認めなければならない。

が、欧米に追い付いて、これから自分たちで考えて進んで行かなければならない日本にとっては、かなりネガティブに作用することだと思う。

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