新型コロナ

コロナ流行で緊急事態宣言の3回目(2021年4月25日発出)が、東京・大阪・兵庫・京都に出されました。

新聞などの論調は、自粛疲れで効果が薄そうというものが目立ちます。

が、私などは、「これこれの状況であれば、感染リスクは限りなくゼロに近いのだから外出はすればいいし、マスクも不要だ」と声を上げたいくらいです。

常識で考えれば「感染確率は限りなくゼロ」という生活シーンはそこかしこにあるのに、街行く人々はほぼすべてのヒトがマスクをしている状況にとても違和感を覚えます。

ちなみにマスクをしていて息苦しさを感じたことがある人はいると思います。

マスクをしていると明らかに体内に取り込む酸素の量は通常よりも減っているということです。

ということは、脳みその働きもフル稼働していないはずで、マスクをしながら仕事をしているのは確実にパフォーマンスが落ちていると思われます。

そういうこともあって、私は、マスクは必要なときのみに着けるようにすべきと思うわけです。

コロナが感染すると思われるシーン

コロナの感染経路は、今時点で考え得るものとしては飛沫感染です。それ以外にはありえません。

なぜなら、以下のシーンではクラスターや、そのせいで爆発的感染は発生していないからです。

・通勤電車(首都圏では結構混んでます)

一方で、クラスターが発生しているのは、過去の例も思い出してみると以下のような場所です。

・飲食店
・スポーツジム
・美容院
・カラオケ店
・病院
・介護施設

クラスター発生の過去記録非常事態における行政機関の平和ボケに学ぶ ※緊急事態宣言直後

というわけで、コロナの感染は、密閉空間で近距離における飛沫感染以外にあり得ないと言えます。

それ以外の場所で感染した人は、通常の肺炎や風邪にかかるのと同じ確率で罹患したであろう人たちなので、仕方がない、という範疇です。

どう考えてもコロナが感染しないシーン

というわけで、私は、個人がその空間の状況を判断してマスクを着けたり着けなかったりすればいいと思うのですが、

週末に散歩をしたり自転車に乗って出かけていると、猫も杓子もマスクをしていて、マスクをしていない人が悪者あつかいされる雰囲気にうんざりしています。

そういえば、小学校の頃に、「戦時中に、"戦争はもう負ける的な" 事実や正しいことを言えなかった」と言って、馬鹿げた社会だったと教えられた記憶がありますが、今の状況は、戦時中とそっくりそのままです。

いつでもどこでもマスクをしていなくても、感染なんてするはずがないのに、「感染確率がゼロではないから」とか専門家が言います。そしてそれをメディアが社会全体に、もうええというくらい撒き散らして、マスクしない人を許さない雰囲気ができています。

こうして、コロナ流行下では、「死ななくてもいいお年寄りの命を守る」と言って、感染リスクがわずかでもある行為をやろうとする意見がすべて封殺されてしまっているわけですが、

戦時中では、「お隣の息子さんが命を落として…」と言って、すでに「命」を落とした方の気持ちにわずかでも反する意見はすべて封殺されてしまっていたことだと思います。

この言論統制の構造は、今この現在で、大手を振って社会の前面を歩いています。そしてそれを主導しているのは、同じくマスメディアです。

そんな状況をアホらしいと思う私です。

ちなみに、どう考えても、そのせいではコロナが感染しないシーンを挙げておきます。

・散歩
・屋内の行くまでの、屋外の徒歩の道中
・公園のベンチで座ってる
・自転車に乗っている

コロナの感染確率がゼロじゃないないなら、別の理由で明日死ぬ可能性もゼロじゃないです

ちなみに「感染リスクがわずかでもある」ということを理由にする人は、

コロナがこうもメディアで取り上げられると、死亡につながるリスクはそれだけ(コロナ)だと錯覚していると思いますが、明日に家の前で交通事故にあう確率はゼロではありません。

コロナの感染リスクのみを気になるのは、メディアに印象操作されて、知らず知らずのうちに思考の幅を狭められているのだという認識は持っておいた方がいいいと思います。

情報操作は、こうやってなされるのです。

他の余計な情報を加えず、単一論点を繰り返し言い続け得るのです。

ほら、ヒトラーとか小泉純一郎とかが使った手法です。

自分の常識をもっと信じたほうがいい

ちなみに上記に書いてあるような、感染なんてしないシーンのことなんて、ほとんど常識の範囲内のことだと思います。

自転車に乗っているときでもマスクをしなければコロナに感染するなんて、普通に考えて起きないと思います。

それを専門家がスーパーコンピュータを使って、道路ですれ違うだけでも感染確率はゼロではないとか言っていました。

ノーベル賞受賞者の山中教授という人がそういうことをテレビの前で言っていた記憶がありますが、専門家は社会全体の運営という観点におけるバランス感覚が欠如しています。

その発言は、論理的に導けるだけということで、だからどうすべきか、という点はまったくありません。

よって、専門家の発言なんて聞いてはいけません。

生命保険の悪質な営業職員が、病気で死ぬ確率はゼロではないから保険に入りましょう、と勧誘するのとほぼ同じです。

記憶の糸_過去記事「感染リスクゼロ状態」という専門家の部分解が多くの社会的命を殺す

たしかに、ウィルスの感染ルートがまだ分からないようなタイミングでは、用心するにこしたことはなかったですが、それが大よそ明るみに出てきた段階であれば、自分の常識をもっと信じるべきだと思います。

今現在、常に社会に一定数存在する「死ぬしか治療法がないバカ」によって、感染者数が爆発的な増加に転じそうな状況ではあるなかで、なお、私は「自分の常識をもっと信じてマスクを外せ」と言いたいと思います。

私が真に恐いと思う「コロナ禍」は、

それによって、ますます社会全体として個々人の自律した判断が扼殺されて、誰かに言われないと動けない無機質な人たちが大量発生していくことです。

全体主義の土壌がづくりが着々となされているように思います。

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