記憶の糸

私は、システム開発の現場でプロジェクトマネージャーをしています。

そしてご縁があって、組織長もやっております。

その立場から、尖った人材を、いろいろな角度から評価したり考えたりするのですが、こう思います。

いわゆる「尖った人材(スキルが突出していて人格・振る舞いに課題がある)」は、

今までは、なんとなく現場では許されてきた感があるが、これからは弾かれていくであろうということです。

専門領域が独立している時代はそれでよかった

これまでは、デザインする人、作る人、●●する人、というのが、フェーズごとに分かれていて、

極端な話、デザイナーとエンジニアは、多くの関係者が顔を合わさなくても、1つのサービスが作れた時代だと思う。

このとき、アウトプットのレベルによっては、その人の人格に問題があっても、開発物の品質にさほど影響は出なかった。

ゆえに、スキルさえあれば、孤高な人であっても、別にその存在が組織の生産性には影響しなかったと言える。

これからは高度に統合される時代

しかしながら、昨今は、ITサービスの進化サイクルは早くなり、そのために、サービスに参加する全領域のメンバーが1つのチームを形成して、ずっと協業するような状況になっている。

とすると、常日頃の顔を合わせるなかでは、尖った人格は、コミュニケーション上のトラブルメーカーであることが露出してしまい、チーム全体の生産性を下げることに直結する。

とすると、システム開発のスピードと質のバランスを考えたとき、スキルが優秀な尖った人材は、少し長い時間軸で見ると、不要ということになる。

デザイナーに多い尖った人

私の経験上、尖った人が一番多いのは、デザイナーであるが、

この人たちは、そろそろ「自分たちは尖ってていい」という、自分たちに対する甘えは通用しなくなる時がくると自覚したほうがいいだろうと思う。

どうも日本には、優れた職人は尖っている、というのが許容される空気があるが、

そうでない職人も増えてきていると肌で実感している。スキルも十分にあり、そしてコミュニケーション力もあり、相手の立場のことが理解できる人材だ。

とすると、スキル一本槍の人は、再び?、下請け的な立場に追いやられるであろう。

別にそれが悪いわけではない。責任の発生しないポジションは楽だから。

エンジニアは、尖った人を残し続けるのは組織上のメリットがない

そしてエンジニアについていうと、上記で書いたようは、デザイナーと同じような理由があるが、

それに加えて、

尖ったエンジニアのスキルで作った成果物は、その人しかメンテナンスできないことが多い。

また、尖った人材が、後のことを考えてドキュメントをちゃんと残している確率は低いと言わざるを得ない。

なので、その成果物のメンテナンスの部分を他のメンバーに分散させようとすると、それですらかなり労力がかかるし、

その「尖ったエンジニア」のモチベーションやご機嫌をケアし続けなければならない。そしてその人の健康や進退が、事業リスクになる。

結果的に、中長期で見ると、その人は明確に、組織上のガン細胞となっている。

こういう認識が、もっと業界内に広まれば、尖った人材も転職市場で脱落しいくだろう。というか、下請け的な立場に押し込められるだろう。

もっとも、常に人材不足のスタートアップなどの需要はあるから、本当に転職先がなくなる、ということはないのだけど。

が、スタートアップ領域でも、上記のような認識が浸透してくると、高待遇だとしても、業務委託にとどめるだろうと思われる。

デザイナーと同じように、作りっぱなしで責任が発生しないので、精神的には楽だろう。

ただ、エンジニアやデザイナーは、若手が次から次と出てくるので、

会社側から見ると、ある一定以上の年齢が過ぎると、需要はなくなるだろうと思う。

デザイナーとエンジニアはどうすればよいのか

「外部環境」と「自分の感情」とに折り合いをつける術を 身につける ことでありましょう。

そして、「自分の感性」を圧殺しないために、「自分の感情」をそのまま保存しながら それをやらねばならない、と言えましょう。

だから「術」を持つ必要があるのであって、本当に折り合いをつけると、その人のスキル・良さは死にます。

これは尖った人にとっては、通常の人よりは、はるかにストレスがかかると思いますが、しかしそれは、精神における筋トレだと思うので、

「自分にはできない」と思わないことが肝要だと思います。

おすすめの記事