2020年は、コロナの自粛期間中に、きゃりーぱみゅぱみゅさんや、小泉今日子さんが、検察庁法の法改正に反対する政治的な発言をして、それがTwitter上などで叩かれたことが物議を醸しました。
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こういった人たちの発言に対して、なぜ世間の人が嫌悪し叩くのか、といったことについて、議論があったようですが、私が感じていることを書いておきたいと思います。
私も、嫌悪感を感じる人のひとりですが、その理由は、これらの人たちは、世間的平均よりも「学がない」からです。
そして、小学生が学校で習った一面的な知識を全体に押し広げて「世の中は間違っている」と語るのを、社会の前面に押し出してくる無節操にあります。
まともに勉強をしたことがない人たちは複眼的に物事を見れない。そして物事は複眼的である。
それはメディアが、ある事実の部分だけを取り出して、全体的にそうした印象を広めようとする無節操に対する嫌悪感とも似ています。
一面的な知識から組み立てられるロジックは、単一ロジックなのですが、
単一ロジックであればあるほど、ロジックの一貫性はあります。そして分かりやすいです。それが単純だからです。
が、実際に世の中はそんなに単純ではないです。ゆえに、その単純さを絶対の価値基準として物事を見ることは、ただ「幼い」のです。
そして「幼さ」を前面に出されると、無節操を感じ取るわけです。
もし「幼い」が問題にならないのだとすれば、選挙権だって12歳児くらいから与えればいいと思います。
税金を収めていない、という点を除けば、「幼い」=「思考や判断が未熟」と思わないなら、選挙権を与えてもいいでしょう。今では18歳に選挙権があります。
でも今の社会はそうなっていません。そんなことは当たり前すぎます。「幼い」=「思考や判断が未熟」なのです。
12歳児が、小学校で知った知識だけで、自分の感情をそこに乗せて意見を言ったとして、それは正鵠を射ているのでしょうか?それはないと思います。
「幼い」は、「思考や判断が未熟」ということでありますが、「思考や判断」には圧倒的な「経験と知識」が必要になります。
そして年齢が低いということは、圧倒的に「経験と知識」が足りないのです。これは致し方のないことです。
「経験」は社会人にならないとどうにも積めないのでさて置くとして、「知識が足りない」のは、これを総じて「学がない」と同じです。
そして、学がない人のロジックは、以下のような類が多いと思われます。
「人命は尊い」→「戦争は人命を奪う」→「戦争は軍隊がやる」→「軍隊を無くせば戦争は起きない」
※戦争抑止には、国際社会のバランスオブパワーによる平和といった観点などがあります。
過去ブログ「国際司法裁判所での決着」は理想主義 ※韓国・竹島問題に寄せて
そして、名前を挙げた人の略歴を見れば、平均的に見れば「学がない」のは明らかです。
きゃりーぱみゅぱみゅさん:高卒
小泉今日子さん:中卒(高校中退)
「学のない人」は分相応をわきまえて黙ればいい
だから、学のない人はまずもって、黙るべきだと思います。
自分が影響力が大きいと知っていれば、それは節度だと思います。
一面の評価軸しか持たない(知らない)ような人は黙るべきです。それは「無知の知」を知るということです。このこともまた、学問を通じて学ぶ考え方です。
最後に、一般用語として「衆愚政治」という言葉があります。
引用すると、
判断力が不十分な市民が意思決定に参加することで、議論が停滞したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定を行い、誤った政策執行に至る場合などを指す。
とのことですが、
今の日本の状況は、確実にこれであり、そしてTwitterやSNSという道具はその傾向を加速させるであろう、という警戒感を絶対に持っておくべきだと思います。
そして、なにか意見を持とうと思ったら、少なくとも数冊以上の本を読んでからにすべきだと考えています。
でなければ、自分自身もまた、流されることになるのは確実です。