記憶の糸

日本のメーカーが、日本市場のユーザーだけをターゲットにして製品仕様を特化させることで、世界市場では見向きもされもない高機能製品ができあがり、結果として世界市場で惨敗を喫する状況を、ガラパゴス化と揶揄されるようになって久しい。

逆手をとったつもりのSHARPのタブレット『ガラパゴス」も早々に市場から消えた。この製品については、事前リサーチで、使い勝手が相当に悪いというのがあったから、ガラパゴスを目指して、かえって足元を見失った例なのだと思います。

ところで一転して、ではガラパゴス化というものを脱するように動くべきなのか、ということについて考えをメモしておきたいと思います。

私は、ガラパゴス化の路線は必要だと思います。なぜなら、ガラパゴス化はよくも悪くも、質を追求したものであり、それが日本人の独自性・感性の原点だと思うからです。

この原点を失えば、日本人だからできることがなくなってしまうと思います。

そしてその原点と平行するかのように、グローバル化というものを対置させるのです。

われわれはその2つの極の間でバランスを取りながら、綱渡りを演じなければ、どちらか一方に比重をおけば、その逆と共に落下してしまうと思うのです。

ガラパゴス化というところに質や日本の独自性の原点がある。

グローバル化とは、その質・独自性の平均化の作業であり、つまりはどうマネーに換えるのかというビジネス上の戦略の問題である。

この戦略に、質・独自性を合わせようとすると、その戦略に耐えるだけの質や独自性をもったものが産まれなくなるのではないか、という危惧が私にはあります。

ガラパゴス化を強調すれば世界で敗れ、グローバル化を強調すれば世界で通用するものが作れなくなる。

だから、ガラパゴス化を強調するとともに、グローバル化も強調する。こんなことはよく言われて久しいのかもしれません。

いかにその2つをバランスさせるのか、それが問題なのだと思います。

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