2021年の全仏オープンで、大坂なおみ選手(世界ランキング2位)は 大会前に、「試合後の記者会見は 選手の心の健康を無視している」として、記者会見を一切受け付けないという声明をSNSで出しました。
このことは、近年の 個人が組織に対して声を上げることについて、確かに選手しか分からない苦しみであり、それを表に出すことは理があるように思えます。
ただ、この部分(個人が組織に対して声を上げる)だけにフォーカスして論理展開すると ごもっともに見えるのですが、この部分だけで考えることを止める知性はアホです。
人間は社会的な存在である、という側面を考慮しないのは、お花畑の脳ミソだと思います。
というわけで、「社会の視点」を入れてみたいと思います。
目次
世界のプロテニスのトップランカーのコメント
この表明に対して、世界のプロテニスのトップランカー(ジョコビッチ、ナダル、錦織圭、アシュリー)らは、男女問わず、一定の理解を示しながら、記者会見を受けるのは義務である、というのが共通の見解です。
女子世界ランク1位のアシュリーは「会見は仕事の一部。自分たちがプロテニスプレーヤーとして何にサインしたか分かっている」と言い、
男子テニスで四大大会の優勝経験を豊富に持つナダルは、「彼女の言い分はわかるが、メディアがいなければ、自分たちは今のようなアスリートでいられないだろう」と言っています。
つまりは、選手はその強さでテニス大会の人気を牽引しているが、それは一面のことであり、テニス大会は選手に場所を提供する形でそれが可能となるように貢献している、という相互依存の関係があります。
だから、選手は大会のルールに従う義務があり、そして、選手は、大会に出る権利があるのだと思います。
それを、唐突に、しかも大会直前に、大会のルールを一方的に放棄して、ひとり自分が嫌なことはしない、と言っているのが大坂なおみ選手の状況です。
会社にもいる 圧倒的な成績を収めて手を付けられない若手の人
で、この構図って、どこかでも見たことがあると思うのが、会社でもよくみる構図です。
若くして圧倒的な成績を収めて、上司も指示ができないような 腫れ物扱いのヒトがいると思います。自分が気に入らない会社行事などには参加しないヒト。
この人に対しては、周囲が今すぐどうにか出来るようなことはありません。
考え方を改めさせようにも、この手のヒトは、多くの場合、自分に都合のよいことしか理解しようとせず、都合の悪いことを取り入れることはできません。
ちなみにこれは人類共通の性質で、だから「忠言耳に逆らう」という故事があるのでしょう。
そして態度を改めないから、まわりからの反感は確実に蓄積されていくのです。
この時点で、社会的な存在としてはオワリに爆進中です。
人間は社会的な関係抜きには存在し得ないのだけれど、その社会的なものを無視したバランス崩壊状態では、行く先は 悪い意味の孤立しか待ち受けていません。
そういうヒトの末路
で、そういう人の行く末としては、
現役時代でいうならば、成績が落ち始めたら総叩きに合うか、総無視になると思います。
現役時代を終えても、総無視が続きますので、誰も相手にしてくれないことでしょう。
当たり前ですが、今現在のスポンサーも、「カネ」で動いているだけであって、大会等の露出の機会がなくなったヒトは無視です。
まわりの心が、そのヒトから離れてしまうとはそういうことだと思います。
私は、スポーツ界だと、この手のヒトは、野球の清原選手や伊良部選手を思い浮かべます。
圧倒的な成績 × 周囲との折り合いがつかず、現役を辞めてからの境遇は気の毒だと思います。要は、悪い意味の孤立状態になったというわけです。
大坂なおみ選手は、こうした路を進んでいると思われます。
4大大会を主催している国際テニス連盟は、取材拒否を続けるようであれば、罰金よりも重い制裁(追放)を加えるということのようですが、
自分は一人で生きていると錯覚しているヒトが、その錯覚を信念として持っているとするならば、社会は容赦なく排除するでしょう。
社会(周囲)もまた、そのヒトのために生きているからです。
社会からの恩恵をただ受け続けた結果、それを社会に返して行かなかったので、社会からの恩恵がストップしただけ、とも言えますが、
対個人であっても、対社会であっても、もらい続けることはできないということです。
もらうことと、与えることは、バランスさせないと上手くいかないと思われます。
うつ病を表明した大坂なおみ選手
その後、大坂選手は、自身はうつ病であるということで大会を棄権しました。
「うつ病」だったから批判してごめんなさい、というヒトもいるようですが、しかし、はじめ本人は大会のあり方について批判的なことを言っていました。
罰金を科すことを表明した運営側には、「anger is a lack of understanding. change makes people uncomfortable.(怒りは理解の欠如です。変化は人々を不快にさせる)」や、「good bye & Good riddance(さよなら、せいせいする)」といったコメントを投稿したりもしています。
そして、あとで「病気でした」というのは、社会的な振る舞いとしては、まったく迷惑な話です。
自己管理でいうなれば、自分が病気であると分かっていたら、はじめから参加すべきではない、と思います。参加したかったとしても。
これなども、卑近な例にたとえると、
体調が悪くて会社に出社して、イライラするからまわりに当たり散らして、自分は体調不良でしたのでしばらく休みます、という行動を採るヒトに、「そっか仕方なかったね」と思うヒトは殆どいません。「迷惑千万」と思うのみです。
我慢が利かないとこうなる例
この例は、社会に出て、人付き合いや 組織との付き合いにおいて、我慢が利かないと陥る典型だと思います。
また、自分は一人で生きていると錯覚している精神が陥る典型でもあります。
個人✕社会というものを学ぶ事例として、記憶に留めておきたいと思います。
記憶の糸嫌われる仕事の仕方をしている人には、因果は必ずめぐる
追記:東京五輪参加を表明(2021/7/6頃)
Yahooニュース大坂なおみが心境語る「オリンピックは出場します」うつ告白は「勇気のいることでした」
追記ですが、大坂なおみ選手は、全仏のあとのウィンブルドンは出場せず、東京五輪には出場するようです。
で、コメントを見ると、「鬱だったのに東京五輪は出れるの?」派と、「応援してあげたら?」派が大きくあるのですが、
「鬱だったのに東京五輪は出れるの?」派のほうが良識ある側だと言わざるを得ません。
「応援してあげたら?」派は、人間としてのモノの感じ方が狭すぎると言えましょう。
我々がスポーツ選手に対して敬意を抱くのは、パブリックな場で、そこに相応しい言動を一貫して取れる人です。
私の記憶であれば、プロ野球の松井選手や、フィギアスケートだと羽生選手や、プロ棋士だと藤井聡太さんなどです。
逆に、敬意を抱くことがないのは、プロ野球の清原選手、相撲の朝青龍関、などでしょうか。いうまでもなく、品行が悪い印象だからです。
この際、本当の顔はそうではないとかいうのは愚問です。
品行が悪いことを報道されるような人ということは、全振る舞いのうちの、その割合が高いということだったのであり、
そして、それを受け取る側は、ただ事実として印象が悪くなる、という自然現象が起きるのみです。
この人間の反応の仕方の「事実」からすると、
大坂なおみ選手は、もともと試合中にラケットを壊すことが多く、政治的発言&試合のボイコットをしたり、クレーコートの全仏が嫌というのは前から言っていて、それに合わせて「インタービューは嫌」と言い出し、運営者側に対して、決してキレイとは言えない言葉を投げつけたりしたわけですが、
そこに滲み出る「自分勝手さ」から、人は嫌悪を覚えざるを得ないという事実があるのみです。
また「日本は私が生まれた大事な母国」という発言も、違和感が出るのは当たり前です。
たとえば、選挙などで、幼いときにその地域にいただけで、歳をとってからその地域の議員に立候補して、「自分の生まれ育ったこの地域を…」と言われても、「お前、育ってないだろ」と思うのが普通です。
そういう意味で、この大坂なおみ選手の振る舞いは、聞く人の感情を逆なでするものでありましょう。
こうやって、人は嫌われていくのであり、それが人間の感じ方の事実であるのみです。
「応援してあげたら?」と思う人たちは、時系列で大坂なおみ選手の振る舞いを追ったときに、心の底からそう思えるとするなら、キレイ事しか聞いてこなかったイタイ人だと思われます。
追記:プロスポーツ選手としてあるまじき結末(2021年9月4日)
このあと、大坂なおみ選手は、東京オリンピックの開会式の聖火台ランナーで登場したり大会に参加したりしていましたが、
その後の全米オープンで致命的なことをしました。
ボールを、観客席に打ち込んだのです。
第1セットを7―5と奪ったが、第2セットはタイブレークに突入。序盤は自分を落ち着かせるように笑顔を見せていた大坂だったが、タイブレークで先行されるとイライラ。0―3になるとラケットを叩きつけて怒りをあらわにし、続くポイントも奪われると、またもラケットをコートに投げつけた。これには中継したテレビ局の解説陣から「残念な行為」「観客がいるので控えた方がいい」との指摘もあった。結局、第2セットは6―7で落としてしまった。
さらに暴挙は続く。第3セットでファーストゲームをブレークされると気持ちが切れたのか、受け取ったボールをスタンドに向かって強打。審判から警告を受けるなど、目に見えてメンタルが崩れていった。
プロスポーツ選手として、超えてはいけない一線を超えてしまいました。