記憶の糸

夏に向けて刻々と時計の針が進みます。


それは、計画停電によるサウナ状態の中、仕事をすることになる時が近づいていると言えるかもしれません。


とまぁ、エアコンの話はさておきまして、繁華街・街路灯の消灯に絡めまして、安全な街づくりについて思うところを書いておきたいと思います。


ちなみに、「節電だから」というのとは関係ない意見です。


※※


私は、駅や繁華街は明るく、郊外・道路は暗く、でいいと思います。メリハリをつけるというものです。


駅や繁華街が暗いとやはり「活気」がなくなりますので、明るい方がいいと思います。大都市圏は、国内の商業のみならず、海外からの旅行客も多いため、明るく活気がある演出は必要だと思います。


一方、郊外・道路は暗くていいと思うのです。暗いと危ないじゃないか、という批判があると思います。そのとおりなのです。


が、この際、夜道を誰もが安全に歩けることを前提とした、過剰な安全志向の街づくり見直すべきだと思います。個々人の規範意識というものにもっと責任を負わせてもよいのではないでしょうか。


夜道は危ないものです。それでいいと思います。


いったい、いつから24時間営業のコンビニが当たり前で、そこに人がいるのが当たり前になったのでしょうか。いつから小学生程度の子供などが、夜道をふらふら出歩くのが当たり前となったのでしょうか。


暗い夜道を明るくして安全性を高めるという、環境の側からのアプローチがひとつの重要な考え方なら、その対として、夜は外を出歩かないよう個人の防犯意識を高めるというのもまた、重要な考え方だと思います。


その後者の感覚が、最近はめっきり失われてしまったように思います。

この、環境を整えるということと、個々人に責任を負わせるというバランスの中で、安全が最大化されるようにすべきではないでしょうか。

いまは環境側(行政)からのみのアプローチの思考に偏りすぎているように思います。

そういうことを、この節電状態で暗さの限度を体感できる今、考えてみてもいいのではないでしょうか。

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