
先日、たまたま電車に乗っていると、電車のドアのあたりで立ってた1人の女性が、コンビニのおにぎりを食べていました。
それを見て「うわっ、気持ち悪い」と思ったのですが、よくよく考えると、自分が中学生くらいのときはやっていたし、友達を含めて、目にしてもそこまで何とも思わなかったよな、と思いまして、
なぜそれが、大人になって年をとった人がすると、気持ち悪く感じてしまうのか、ということを不思議に思ってしまいました。
そのことについて、ちょっと考えておきたいと思います。
なぜ気持ち悪く感じるようになるのか
まず、これについては、理屈で考えても出てこないと思うので、似たよう事例を思い起こしてみました。
たとえば、幼児が、食事をするときに口のまわりをベチャベチャにするのはOKだけど、大人がそれをすると、、、普通はしないし見たことがないのですが、ただただ気持ち悪いと思います。
幼児が、食事中に口を開けても「コラッ」っと言って終わりですが、大人がすると気持ち悪いです。
一方で、大人の行動で見たときに、サンドイッチやおにぎりを、公園のベンチで食べていても何とも思いません。
天気のいい公園であれば、ベンチでお弁当を食べていても、サンドイッチやおにぎりを立ったまま食べていてもあまり違和感はない、というかそれは普通の光景です。
そして言うまでもなく、立ち食いそばの店や立食パーティーでは、立ち食いしている光景が別に気持ち悪いと思ったことはありません。
こんなことから考えると、立ち食い・買い食いをしていて気持ち悪いと思うのは、
「年齢が小さくてまだマナーは知らないから仕方がない」、というのと、「ここはそういうことをしても良い場所だよね」、ということであれば気持ち悪いと感じない、ということになります。
感じ方は、食事マナー意識の経験値に感化されていく
ここから更に社会的なバイアス条件を考えてみると、
社会人になって合コンしたり、自分の仲のよい人たちとの食事の経験が増えてくると、どうしても「食事マナー」という観念が入ってきます。
そうすると、自然と、自他ともに下品な食べ方はしてはいけなくなります。
そういう社会空間・言語空間にいると、ものの感じ方もそのようになってくると思われます。
そのバイアスもあって、余計に、食事の仕方に気持ち悪さを感じるようになると言えるのではないでしょうか。
ちなみそのバイアスは認めるべきだと思います。
それが「文化」であるし、それが長年の多数の人が積み上げあてきた感覚なのであれば、それは大事にすべきだと言えるからです。
ちなみに、自分自身が子供のときに、そういう光景が気持ち悪く感じないのは、まだ そもそもマナーということを知らないから、気持ち悪いという感情が起きないのだと思われます。
気持ち悪い所作とは TPOを外した行為
というわけで、ある所作が、子供のときは気持ち悪いと感じなかったが、大人になったら気持ち悪いと感じるようになるというのは、
TPOをどれだけ外している行為なのか、ということと、マナー経験値の向上がTPOによっての感じ方をよりハッキリさせていくから、といことなのだと思います。
冒頭の事例に戻るなら、電車の出入り口付近で おにぎりを食べる行為は、「普通は電車のなかでは食べない」や、「たくさんの人がいる所では食べない」という環境が前提条件になっているのだと思います。
ちなみですが、食事マナーについては、過剰になったり、西洋のマナーを無理やり東洋の食べ物に持ち込むと、返って下品になったりすることがあるので難しいと思いますが、
記憶の糸 過去記事マナーの過剰がかえって下品になっているという自分に気づいてない人
大原則は、TPOに合わせた振る舞い、ということなのだと思いました。