記憶の糸

最近、占い的なことを勉強したり、仏教的なことを勉強しているのですが、

そこに「いまこの瞬間(刹那)を一生懸命生きる」という考え方があります。

この考え方は、古代インド哲学(2500年前)から既に登場している考え方で、仏教も、これをベースにしている印象が強いです。

この考え方を生き方に取り入れるには、夏目漱石の「則天去私」と同じようなことで、心の修行を要するが、その後はとても楽になれると思います。

私は確かに、その修行中です。

が、この考え方を若いうちから実践すると、己について迷いがなくなるから、かえって薄っぺらい人間になると思います。

この考え方に出会う前に、どれだけか悩んでいないと、結局はこの考え方を取り入れると、自分の主体性は失われて、他動的な生き方になるでしょう。

人生の経験値を、ある方向性を持たせて積み上げるのではなく、今目の前のことを積み上げるというのです。

しかしそれは、西洋で科学技術が誕生したが、東洋で科学が誕生せず、

西洋で政治制度や社会制度が、試行錯誤のうえ改変されていくのに対して、東洋はいつまでたってもある時点のやり方を繰り続けてきたことに、本質的に関係していると思われます

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