父親の他界を経験して思うこと

この夏、父が70歳で他界しました。私は38歳です。

父の死をきっかけに、いろいろと思うところがありましたので、書き残しておきたいと思います。

他界するまでの経緯

父はもともと40歳の頃から喘息でした。

そしてずっと薬とお付き合いしてきて、そのなかに「ステロイド」がありました。

ステロイドは、ざっくりいうと炎症を抑える薬ですが、それは結局、免疫を抑える薬です。

そしてそれを長年服用し続けることで、父の体は免疫不全のような状態になっていました。

そしてその状態のなか、加齢で腰を痛めてあまり歩かなくなったり、腰の手術をしてリハビリを完遂できなかったりで、一層、足腰が痛くなり、自力で歩くのが難しくなりつつありました。

そうしていると、今度は、足に水が溜まるようになり、その手術をしても、傷口がなかなかくっつかないといったことが起きるようになりました。

そんなことでたびたび入院したりしているなか、免疫不全なので、風邪をひくと、それが肺炎にまで発展するとうことが何度かありました。

そして肺炎にかかると、体内に薬を投与しなければならないのですが、ステロイドを飲んでいるので、免疫が低いままです。

が、肺炎の病原体をやっつけるため?には、免疫を上げねばならず、そうすると、ステロイドの服薬量を抑えることになります。

それはそれで喘息が出てきて苦しくなります。

つまり、病原菌・ウィルスを倒す薬と、ステロイドと、免疫の綱引きで、どれかを高めようとすると、どれかが悪影響するという状況でした。

そんななか、重篤化したことがあり、「今夜が峠」ということで、私も病院に呼ばれたことがありましたが、そのときの父の痛がっている姿を見るのはつらいものがありました。

集中治療室へは何度か入ったことがあり、そのうち私も3回ほどは、会いに行ったことがありました。

なので「次に、母から電話がかかってきたら・・・」という覚悟は持っておこうと思っていました。

が、他界するときは突然でした。

いつもの[入院(一般病棟)]→[集中治療室]というステップを踏むだろうと思っていたのですが、入院を聞いた翌日に亡くなりました。

本当に急なことで、職場で仕事にとりかかろうとしていると、電話は姉からもらったのですが、正直、体に電気が走りました。

空虚感×涙のリズムを持って押し寄せてくる

私は、肉親の死に接すると、かなり悲しむことになるのではないかと思っていました。号泣するのではないかと。

が、実際は、体に電気が走ってからしばらくは悲しみは来ませんでした。が、電話で話している間も、ふと急に涙がこみ上げてくる、という感じで泣けてしまうのでした。

それからはずっと同じような感じで、涙がこみ上げてくるサイクルがあるようで、時間が経つとそれが少しずつ長くなる感じでした。

ただ、実家にむかう新幹線のなかでは、父との思い出の記憶を辿って、笑顔を思い出すと、しみじみと悲しみがこみ上げてきて涙が押した寄せてきました。

私が父の思い出で、一番初めに思い出したのは、こんな感じでした。

「小学生低学年くらいの頃に、父と六甲山を登ったこと。」

ふたりで色々会話をしながら登った記憶があります。

通夜・葬儀で父にかけた言葉

父の死因は「気管支喘息」です。

だから最期は少し苦しかっただろうと思います。

そしてそのとき、そばに家族が誰もいなかったことが、とても寂しかっただろうと思います。

それを思うと、胸にこみ上げてくるものがあります。

そんな父の死に顔は、穏やかなものでした。まるで眠っているようだと、対面してくれた人は皆いいました。

私は、父の死に顔を見ていると、自然と頭に浮かんだ言葉は、

「お疲れ様」でした。

他界するまでの最後の5年くらいは、入退院を繰り返し、本当に辛かったと思います。

そして、お坊さんから「魂がまだこの世にいて、供養をすることで冥界への旅立ちを応援するのだ」という話を聞いたときから、

「元気に行ってきて」

という言葉が浮かぶようになりました。

現世では、自由に歩くことができなくなっていた父ですが、魂になってからは足もちゃんと動くであろうと思いました。

そうやって、通夜・葬式が進んでいくなかで、気持ちの整理をしながら、涙のサイクルは徐々に延びていきました。

が、さいご火葬場でいくときの「最後のお別れ」では、この世から本当に体が消えてしまうのかと思うと、涙が止まりませんでした。

息子として、心から父の冥福を祈りたいと思います。

普段から親孝行は絶対にしておくこと

私は、父の他界に、比較的落ち着いて相対することができたのではないかと思います。

不思議と、激しい悲しみはありませんでした。

それは、私のなかに父に対しての後悔があまりなかったからだと思います。

私はひとり東京に出て、いまそこで家庭を持って住んでいます。

なので、親孝行は可能な範囲で全部やろうと決めていました。

父の日、誕生日、お盆、年末年始、ときどきの近況報告。

独身の時も、結婚して息子が産まれてからも、機会があればなるべく帰省していました。

それが親孝行であると考えていたからです。

だから、「ああしておけばよかった」という後悔があまりありません。

それが、深く悲しみに沈み込まなくて済んだ要因かもしれません。

私は、もし「ああしておけばよかった」の後悔があったら、えぐられるような悲しみに包まれていたと思います。

父の存在はいつでもそばにある

最後にひとつ嬉しかったことがあります。

父の血が受け継がれていることを確認できたことです。

通夜・告別式に来ていただいた親戚のお婆ちゃんが、父の幼い頃の話をしてくれました。

幼稚園の頃の話で、父は、皆が砂場で遊んでいるときは違うところで別の遊びをして、皆がいなくなると、ひとり砂場で遊んでいたようです。

そしてこの振る舞いが、今の私の1歳10ヶ月の息子とまったく同じなのです。

そこに、父の血が受け継がれていることを発見し、嬉しい気持ちになりました。

父の存在は、自分たちの内部にあると思うと嬉しくなりました。

私の父との別れはこんな具合でした。

当面は、父の他界で一番心のダメージを受けている母の心に寄り添いたいと思います。

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