「とにかくやってみる」で成功・失敗を分ける条件
「とにかくやってみる」という姿勢・マインドは何ひとつ間違った考え方ではないと思います。

ただしこれで成功する場合は、考え得るところをすべて考えた後に、あとは行動あるのみ、という段階になった場合です。つまり、なにかをするにあたって、方針決めから始まり、途中のリスク、そして終わりと、そこまで考えた後に、ということです。

そして失敗する場合は、本当に何も考えずに、むしろ「とにかくやってみる」うちに、方針とか始まりとかリスクが見えてくるんじゃないか、と構える場合です。

このことについては、戦争という究極の不確定要素が多いと思われる分野で、かの有名な孫子も、厳にこう戒めています。

 戦争の見通しは、開戦に先立って立てられていなければならない。勝つか負けるかは、見通しのいかんにかかっているのだ。…見通しを立てようともしない者が、勝てるはずはない。

続けて、

 勝つか敗けるかは、まず勝利の条件をととのえてから戦争をはじめるか、それとも、まず戦争をはじめてから勝利をつかもうとするか、によってきまる。

と。

こんな言葉を引用するまでもなく、普段の仕事のなかでも、巧みな人は前者であり、拙い人は後者であることは、観察できることではないでしょうか。

そして愚かにも、拙い方の人は、「とにかくやって」みて、右往左往することが試行錯誤であり、仕事はそういうものだとさえ思っている節がある。

これがもし、マネージャー・課長クラスになると、もはや目も当てられぬ組織の状況が生まれることだろう。

このような組織は、納期が厳格な職場であれば、いつも残業しているに違いない。混乱の収拾が納期までの期間を逼迫させるがゆえに。

そして、納期が厳格でない職場であれば、スピード感がまるでない組織に違いない。混乱の収拾もまた「とりあえずやってみる」方式だから、なにかにつけ時間がかかりすぎるがゆえに。

※※※

「計画とか設計」ということができない人にとっては「とにかくやってみる」という言葉は、誠に耳ざわりが良いらしい。

とにかく手を動かしてみれば、やっている感が出るし、少なくとも何かが形になるからだ。

が、危険なのは、この何かが出来始めると、それを出発点として拡張して行く方向となり、途中での修正がやりづらくなるという点だ。

これは当然の帰結だ。修正すべきの判断基準は、本来は「計画とか設計」のうちにあるのに、それをせずに「とにかくやる」ことを正とし、その積み重ねに「今」があるなら、なにをもってその「今」を否定するのか。否定する根拠はどこにもありはしない。

必ずそうなる状況の中、目的を達成するための方向性の違いが見えた時点で、勇気をもってそれを止めようと言える者が、どれだけいようか。

そしてのその「違いが見えること」さえも、はじめの「計画とか設計」があれば、もっと早期に気づくものを。

ゆえに「計画とか設計」がなければ、十中八九は、うまく事は進まないことでしょう。

そしてなんのことはない。こんなことは小学生の頃から経験していることだと言えます。

夏休みの宿題を、

計画を立てて計画通りか前倒しで終わらせるか、

計画も立てずに、最後の一週間で泣きをみるか。

泣きを見てでも完遂するならまだいい。

「自分はここまでしかできませんでした」でもって完成とするのは、社会では通用しないことでありましょう。

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