家庭でのモンテッソーリ風のアプローチは定期的に見直した方がよい

我が家には4歳になる小僧がいます。

この小僧に、なるべく「良い」とされる教育をしてあげたいと思い、モンテッソーリのアプローチなんかも意識しているのですが、

最近、なんか「それを適用すると違うんだよな」と感じることが増えてきたので、

そのことを記録に残しておきたいと思います。

そもそもモンテッソーリの考え方

そもそもモンテッソーリの考え方をおさらいしておくと、

私の以前の記事からの引用とはなりますが、

要約子供の表情が最も輝く瞬間を観察せよ。そしてその瞬間が続くように環境を整え続けよ。

ということです。

輝く瞬間は、溌剌とした笑顔もあれば、なにかに集中している真摯な表情ということもあると思います。

違和感の正体

このことを意識していると、特に「真剣な顔をしているとき」が多いのですが、何か「継続的にやっていること」を無条件に「良いこと」と見なして、介入しないようになっていっている自分がいました。

知らず知らずのうちに、「最も輝く瞬間」の輪郭がボヤけてきていたのです。介入しない領域が拡大しておりました。

そして、いわゆる「悪戯」をすることも許容してしまっている自分がいました。

こんなことを意識し直して、よくよく観察し直してみると、「その瞬間」は確かに集中しているように見えるのですが、

前後の文脈を足して捉えてみると、

たとえば、幼稚園に行きたくないから朝ご飯の食器をずっといじっているとか、

トイレに行けず失敗してしまっていて、言えないので、そこにあるものを何かいじっているとか、

着替えをしたくないから、ずっと恐竜の人形をいじっているとか、そんなことが多いように思います。

もちろん、その時の表情も、よくよく見ると、「心ここに在らず」的な要素が入っているのを感じます。

というわけで、モンテッソーリ風なアプローチは、定期的に立ち返って見直さないと、

ずるずると放置する領域を拡大することにつながると思い、それがマナーの領域にまで染み出したりすることに警戒せねばならないと思ったのでした。

記憶の糸モンテッソーリ教育の「考え方」が学べる一冊。結果、自宅で何をすればよいかが分かります。

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