2019年に実父が他界(享年70歳)し、続けて3ヶ月後に母方の祖母が他界しました。
2人とも、晩年の生活は不幸だったと思います。
父は、持病の喘息と体力の衰えからあまり外出しなくなり、そしてそれによってさらに別の病気が発生してきて、母の諫言だけではもう動かなくなっていき、もうずっと歩くのも苦しい状態を続けて、力尽きたという印象です。
祖母は、あるとき脳溢血で倒れ、命はとりとめたものの、祖父との2人暮らしは生活に支障が出るため、あるとき施設に預けられ、それきりずっと施設でした。その祖母は、長男の家族といつか一緒に住むのを夢見ていたことを、私は覚えています。
子供夫婦がいる自然さ、老夫婦ふたりの不自然さ
この2人を例に出すと、単純に考えると、そこに子供夫婦が一緒に暮らしていれば、
父については叱咤激励や、孫と遊ぶといった、「何かやること」ができていたと思われます。
祖母についても、自分の家族に取り巻かれながら、にぎやかな日々を送れていたことでしょう。
が、それは叶いませんでした。
父についていえば、その子供夫婦というのは、このブログを書いている私となりますが、実家は兵庫県宝塚市で、私はいま東京に出てきて家族を形成しています。
むろん、家を離れることは「当たり前のこと」として、そのときは、核家族的なあり方に疑念を持つことはありませんでした。
核家族は壮年期の自由と引き換えに晩年期はボロボロになる
が、核家族は晩年に待ち受けているのは「寂しさ」以外にないと確信しました。
核家族は、壮年期に家から離れるので、親のしがらみといったことから自由となります。独身時代などは、会社からの稼ぎを自分の好きなことにつぎ込めるので、本当に楽しいものだと思います。
結婚のときでも、自分のパートナーとだけの空間で、充実した日々を送れることだと思います。自分たち以外の誰にも「気を遣う必要がない」からです。
一方で、親の立場に立ってみても、「やっと子育ての手が離れた」という開放感もあるのではないでしょうか。
しかしこれらは、親も子も健康であるときのみに成立することなのです。
そして一度、(普通は)親のほうから健康が崩れだすと、これをもうどうしようもありません。
なぜなら、子供側でいけば、何十年も別々で生活していたあとに、急に一緒に暮らすとなると、ストレスで破滅します。
このストレスを感じることは自然なことでどうしようもありません。パートナーにとっては地獄となるでしょう。
下手をすると、親・子の両方の家庭が、ストレスで押しつぶされて家庭崩壊すると思います。
だとすると、今できる現実的な手段は、間接的な支援をする以外にないのです。
たまに実家に帰ったり、それこそ施設に入ってもらったり、ということです。
核家族では、壮年期のコストは下の世代がまともに支払う
このように、核家族的なあり方は、晩年期に「家族が直接に協力できない」という仕掛けになっていると思われます。
そして、さらに核家族のデメリットは、もともと家族が持っていたものを継承できない、という点もあります。
土地や家屋やクルマなどがそれに該当します。
が、こうした「もの」以外でも、子供ができれば痛感しますが、育児の支援や、躾・教育といったについてもまったく継承できません。
実家暮らしであれば、上の世代が、これらを肩代わりしてくれるので、下の世代の普段はいくらか減ります。
が、上の世代がいない核家族であれば、いまでは地域コミュニティも崩壊しているので、すべてを負担しなければなりません。
そしてすべてを負担するのはとても難しいことです。1日は24時間しかないからです。
だから昨今の、躾などをすべて保育園や小学校に依存する、という状況になるのです。
そしてうまく行かなかったら、他人である教師などに対して親が切れるわけです。
これが「望ましい社会の姿」なのかどうか、深く疑ったほうがいいでしょう。
核家族では親族は間違いなく解体される
そして、親族も解体されます。
核家族になると、つながりがあるのは、親の兄弟だけとなりましょう。
親の兄弟やその子供(=親戚)ともつながりは希薄になります。
なぜなら、核家族の考え方そのものが「自分たちだけ」だからです。
それは言うまでもなく、親からのしがらみですら遠ざけるのであれば、肉親から更に遠い人たちについては言わずもがなです。
団塊世代まではよかった。団塊世代の無責任はここにある。
そして、上記のようなことは、団塊世代まではもろに顕在化しなかったと思います。
なぜならば、まだ遠ざけるべき「家族」が、強固であり人数がいたからです。
つまり、無意識に寄り掛かれる共同体がちゃんと存在し得たからです。
が、団塊世代の下の世代からはそうも行きません。
無意識に寄り掛かれる共同体が本当にないからです。
親族筋の共同体も崩壊し、地域コミュニティも崩壊しています。
となると本当に自分たちでやらなければなりません。
とすれば、それができる経済力のある世帯以外はすべて没落するでしょう。
二極化とはこのことです。
私は、この「核家族」→「自由の享受」→「世代をまたいで社会がボロボロになる」ということを無自覚に推進した団塊世代の価値観に対して、批判の矢を射ておきたいと思います。
このような社会の大勢が変わってほしいとは思います。が、行き着くところまで行かねば、誰も分からないでしょう。
ただ、そのことに気づいた少数の私の親族や友人とは、いまの社会の大勢とは一線を画して何ができるか、ということを模索していきたいと思います。
私はいま38歳、子供は2歳5ヶ月。まだ少し時間はあると思います。