バナナの次はトマトのようですね。
「脂肪燃焼」の成分が発見されたということで、トマトが品薄状態のようです。
このような、「これがいい」とか「あれが悪い」とういう情報ひとつで、多数の人が一斉に同じように動くのは問題だと思います。
まずは定量的な問題として、
本当に必要な人に行き渡らなくなるからという理由がひとつあります。
そして定性的な理由として、
「ひとつの良いこと」に集中しても良くはならないのに、「良いことはすべき」とばかりの軽信の態度は、物事を俯瞰的・本質に見る態度を弱め、社会全体がひとつのことに振り回されやすくなる、つまりは混乱しやすくなるから、というものです。
※これについては、近年の選挙・政治や、TPP問題でも顕著だったと言えます。
このような状態を「軽信」×「行動に移る」の結果だと見るならば、なぜそのようなことに陥るのか、「軽信」と「行動に移る」という観点でいちど考えておきたいと思います。
軽信とはなにか
そもそも「軽信」とはなんでしょうか。それは、軽々しく信じることです。
そもそも信じるとはなんでしょうか。
それはある解釈が、「自分」および「他人」の経験・考え方・感じ方の蓄積を鑑みて「総合した」結果、それが正しいと価値評価をすることであるといえます。
ではそれが軽くなるとはどういうことでしょうか。
それは、価値評価をするための、自他の経験・見識の判断材料が少ないか、それらを総合する力が弱いということになると思います。
行動に移る
行動に移るのはどういうときでしょうか。
それは、「やりたいという欲求」×「やれそうかという実現性」×「やらねばならない必要性」になると思います。
欲求については、自分のそもそもの欲求と、周囲からの期待に反射した自分への願望でしょう。
実現性については、「時間的」に、「体力的」・「精神的」・「金銭的」な負荷のある状態がどれくらい続くかで測れる思います。
必要性については、自分以外の社会からの要請、ということになるかと思います。
軽信×行動を因数分解してみると
こう考えてみると、
「軽信」×「行動に移る」は次のように分解できます。
「軽信」=「自分の経験量」×「取り込んだ他人の経験量」×「総合力」
「行動」=「欲求」×「実現性」×「必要性」
繰り返される騒動には、これらの項目の複数が要因になっていると言えそうです。
トマト騒動に当てはめてみると
で、今回のトマトは、記事によれば中高年が多いとのことなので、私見で上記の要素に当てはめてみると、
「自分の経験量」
これは人生経験そのものなので平均的に見れば、中高年は問題なしと思います。よって白(○)
「他人の経験量」
これは読書も含めた他人との付き合いの幅と深さですね。中高年は会社人間が殆どでしょうから、これも一応白(○)
「総合力」
昨今の日本の状況を見て、物事の一面的な評価に振り回されたり、そもそも空気に敏感であることを考えると、これは今回の要因だと言えそうです。というわけで黒(●)
「欲求」
やせたいという欲求は大有りだと思います。日々の体の状態や、健康の問題にも直結しますから(●)
「実現性」
サラリーマンであれば、トマトを買うのは容易ですね。ジュースであれば、飲むだけですからなお容易です。時間的にも、肉体・精神・金銭的にもまったく負荷がかかりません。というわけで(●)
「必要性」
メタボ対策は検診が義務化されましたね。ご家庭によっては、いろんな要請もあると思います(●)
ということでまとめてみますと、今回は以下の要素のうちの、
「軽信」=「自分の経験量」×「取り込んだ他人の経験量」×「総合力」
「行動」=「欲求」×「実現性」×「必要性」
4つの項目が、騒動に作用したといえると思います。
「総合力」が弱い
「欲求」がそもそもある
「実現性」のハードルが低い
「必要性」が社会的にある
加えて、それが慣れ親しんだ緑黄色野菜のトマトだった、というのもあると思います。
こんな騒動を起こさないために
ちなみに、再発防止ということでいえば、「総合力」を上げるしかなさそうですね。
とはいえ、栄養の領域ということもあるので、これは実は国家として「食育」が完全に失敗していることを意味していると言えましょう。
今後、このような状況が生まれないためには、ずっと遡って、小学校か中学校の教育あたりから対策した方がいいのかもしれません。