今年は40歳の年。この一年は、内面の変化が大きくあった一年でした。
ちなみに大きな変化を引き起こした勉強内容というのは、仏教的なものが主です。
2021年4月:ロジカルシンキングは、空海に "浅い" と結論づけられている
2021年6月:馬鹿には 仏も黙る
2021年7月:「自分を知ること」と「悟り」との関係 ~大日経より~
もちろん、これまでの経験とかも混ぜ合わされて、それが書物という触媒があって、この1年のなかで大きく結晶した部分があったのだと思われます。
そのことを記録しておきたいと思います。
怒りが無くなる:自分の正しさを手放す
これは仏教的に見れば、ひとの「あり方」の相対性を徹底的に認めるということです。
「普通、こういうことしてもらったらお礼をいうものだろ?」
「普通、挨拶したら、挨拶を返すものだろ?」
「普通、家事でここまでやったら、相手も少しはそれに応えてくれてもいいんじゃないか?」
こんな「怒りの素」となることは、すべて「自分の正しさを相手に当てはめようとしている」ということから発しています。
だから、こんなものの見方をやめてしまいました。
「そういう人もいる」
「そんなこともある」
という見方を身につけるということです。また、別の角度から見れば、自分もきっとそういうことを誰かに対してしているかもしれない、とも思うわけです。
なので、「お互い様」だし、そうやって「持ちつ持たれつ」があるのみでいいじゃないか、と思えるようになれました。
こう思えるようになると、本当に怒りが消えていきます。かなり消えました。大きな内面の変化だと思います。
ちなみにそうなると、「相手はなにも変わらないじゃないか」と思うかもしれませんが、
古今東西、人間はそうやって進歩してきたのかい?と問われれば、
まったく進歩せずに、それを繰り返している、というのが真実でありましょう。
だから、相手を変えようとする試みをするよりは、自分がまず変わって、相手がその影響を受けるといいな、くらいなスタンスがちょうど良いのだと思います。
面倒が喜びに変わる:忍耐するのではなく受け入れる。そして自分がやる。できるようになる。
これは仕事面で多いことかもしれませんが、
「なんで、こんな仕事を自分がしなければならないのか」
「この仕事は自分の業務範囲ではない」
みたいなことを、表に出さずに、我慢して引き受けてやることを「自分ってすごい?」みたいな感じで慰めてきたのですが、
それがはじめて、「引き受けることで新たなスキルを獲得し、結果的に既存スキルとの掛け算で希少価値を発揮する」ということを確信しました。
なので、どんな仕事も、自分が関わる機会がきたら、それを感謝し、そして、秒殺できて高品質で片付ける方法を編み出して 自分のものとする、ということを継続していると、
本当に、大多数の人よりも圧倒的なパフォーマンスを出せる人材になれることに、この歳になって気づきました。そしてそれがとても大きな自己肯定感につながるのです。
正直、Excel作業が代表かもしれませんが、周囲の営業や庶務の人が5~6時間かかる、と言ったことを30分くらいで終わらせています。1時間かかる作業は5分程度でしょうか。
Excelの関数利用のみならず、Windowsのコマンドベース処理が効くようにファイル形式を変換したりの合わせて技で、「秒殺」級に作業を圧縮することができるようにまでなっています。
そしてまたそのやり方をお伝えするのです。
自分だけ持っていても仕方がありません。
このあたりは、課長経験をしてきたので、自分ひとりだけ出来るようになっても組織全体としては意味がにない、という「ものの見方」が、自分だけで囲っておこうと思わないようにさせています。
見返りを求めなくなる:相手の喜びが、自分の喜び
そしてこれが一番大きいかもしれませんが、
私はもともと、工学部出身ですが、まわりが皆んな研究職に就職していくなか、約20年前にサービス業(SIer)に就きました。
なぜなら、私は大学時代のアルバイトを通じて、人と話すのが好きだったし、相手が笑顔になるのが好きだったからです。
こんな原体験と、
仏教的な、「相手と自分はつながっている」「自分がイライラしていれば相手もイライラしやす」「自分が楽しんでいれば相手も楽しくなりやすい」といった捉え方があると思うのですが、
この2つのことが合わさって、以下のことがとても腹落ちしているのです。
「相手の笑顔が好き」→「相手の笑顔は相手の喜びから発する」→「相手の喜びは自分の喜び」→「自分を喜ばそうと思ったら相手を喜ばせることが先」
いままで私は、相手を喜ばせることを、取引としての「喜び」があるのみだ、と割り切っているところがありました。
ですが、そうでは無い、と思い至ったのです。
そして、このことが、1つ目、2つ目のこととループしていて、なんとも好循環が来ているような予感がいまあるのです。
もちろん、悪意のある相手に利用されたり、といったリスクは十分にあると思います。
そこはただ、自分の目を肥やしてくれるために現れたのだと受け入れるしかないとも思います。ここにも、仏教的に見れば、そうなるべくしてそうなっているのです。
こんな感じで、2021年は、とても内面の変化のある年でした。
来年も、ポジティブにいきたいと思います!