記憶の糸

先日、ルノワール展に足を運んで運んできましたが、ルノワールの絵は「晴れやか」という言葉がピッタリの絵です。

「悲しげな絵を描かなかった唯一の大芸術家」(ミラボー)だそうですね。そこに惹かれて見に行ったのかもしれませんが、

と、そこでふと思いました。一体自分はこれまで何故に美術館に足を運んできたのだろうかと。

そもそも美術館に出入りするようになったのは、中学校の頃の美術の宿題から始まりました。で、先生に言われるままに有名な絵を見たり美術館に行ったりしていたのですが、それは宿題のためでした。

大学時代に海外旅行をしたときも、美術館に行ったりしたのは結局それが見所だからであり有名だからです。自分にとってどうなのか、という事とは全く関わりの無いことでした。

が、最近になってようやく、ある目的を持って絵を見るようになってきたことを自覚しています。その目的というのは、自分の趣味・感性の輪郭をはっきりさせて行く、ということです。

一通り絵を見て、その中で一番印象に残っているものがあったりしますよね。で、どうしてその絵なのかということを考えて見ると、色使いだったり絵の対象だったり雰囲気だったりします。

そうやって印象に残った絵を過去から並べてみると、ある傾向がハッキリとあることが分かります。印象派がいいとか、宗教画が好きとか、明るい絵が好きとか、そういうものがハッキリと表れてます。

結局はそれを通して、「ああ、そうなのか、自分はこういう趣味・感性なのだ」と気づかされるのです。

それに気づいてからというもの、美術館に行くのが楽しみになってきたようで、今でも美術館に行くというのが続いているようです。

出会う絵が、自分の感性を洗練させてくれますし、新しい絵に出会うことでまだ知らぬ自分の感性の発見につながって行くかもしれないとの期待もあるからです。

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