『学問のすすめ』の骨子を捉えなおす

福澤諭吉の『学問のすすめ』

小学校のときに、「天は人のうえに人をつくらず、人の下に人をつくらず」という、四民平等の代表として覚えた古典。

初めて通読しましたが、この書は、四民平等が目的などではありませんでした。

当時の日本が国際社会のなかで、いかにその独立を保ちつつ豊かな国になるか、を論じた書です。四民平等は、その必要条件にすぎませんでした。

以下、「いかに独立を保ちつつ、豊かな国になるか」という部分を整理しておきたいと思います。

一身独立が最重要

この書はまず、一国が独立するために、国民一人々々が、一身独立している状態にならねばならないと説きます。

そもそもなぜ一国独立のためには、一身が独立している必要があるのか。

まず福澤諭吉は、国民国家の理想状態として、一国は一身の集まりであり、その一身たちが政府や民間といった違う立場で、豊かな社会という同じ目的に向かって分業している状態、と捉えています。

そしてこの分業が健全に機能するためには、国民の政府への過度な依存、あるいは、政府の国民への過度な統制は排する必要があると見ているのです。

それでは、もしこの分業体制下で、一身独立していなければどうなるか。

福沢諭吉が眼前に捉えていた世界、それが、その状態です。

ときは幕末。

武士以外の階級では、「お上」への精神的奴隷度は尋常ではなく、それこそ、切り捨て御免をされても、文句ひとつ言わず、そういった状態を改善しようともせず、恨みを貯めるような社会だったわけです。

このように「政府」を「お上」と見る精神的態度が残り続ければ、明治以降の形だけは国民国家となったとしても、「国民」や「民間企業」は「政府」の言いなりであり、「国民」「民間企業」が自由な活動は制限され続けることでしょう。

あるいはそもそも、せっかくの努力も、政府の一声で無になるのであれば、誰も自発的になにかしよう気にはならないでしょう。

福澤諭吉の目には、西欧の先進国との彼我の差は、

この国民が一身独立し、政府も民間も対等な立場で、お互いに影響を与えつつ、お互いの領域で、自国を豊かにすることを追求していくという国家構造と、幕府の統制下、国民の自由な活動が抑制された社会構造の差と映っていたのは明らかです。

そしてこの「政府と国民・民間」のバランスをとりつつ豊かな国になるにはどうすればよいかについて、『学問のすすめ』では、次の2点に集約されていると思います。

・国民が学問をし、自らの知恵で産業の発展/拡大に貢献していける状態にする。
・政府の統制自体および、統制に慣れきった国民の精神構造を排す。

これが『学問のすすめ』の骨子だと思います。

このことが『学問のすすめ』全14編うち、はじめの3編にまとめられており、以降の編では、そのための国民や学者、政府のあり方の各論を論じているような構成になっています。

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